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童謡が問いかける 改憲を語る者の資格

2017年5月12日付 中外日報(社説)

童謡「みかんの花咲く丘」は終戦翌年の8月24日、童謡歌手の川田正子さんがNHKラジオの二元放送番組出演のため伊豆・伊東に行く列車内で、付き添っていた海沼実氏が作曲した。加藤省吾氏の詞に伊豆の海を眺めながら曲をつけたそうだ(川田正子著『童謡は心のふるさと』による)が、この日は現憲法の草案が衆議院で可決された歴史に残る日だった。

翌日、出来たての曲が12歳の川田さんの歌声で流れるとNHKに「もう一度歌って」など大変な反響が来たという。国土は荒廃しても、可憐な白い花と青い海、遠くにかすむ船……戦災で見失った郷愁がよみがえったようだ。川田さんは、終戦で「光が射すように世の中が明るくなったのを子どもながら感じた」と記している。

国が焦土化したほどの敗戦なのに「明るく」感じたのはなぜか。冥界の川田さんらからは聴けないが、軍を頂点に国のため自己犠牲を当然とする権威主義的支配からの解放感が大きかったはずだ。

一晩で10万人以上が犠牲になったという1945年3月10日の東京大空襲で、新聞は「一時の不幸に屈せず、断じて戦い抜け」と小磯国昭首相の演説を伝えた。10万人の理不尽な死を「一時の不幸」と切り捨てる。「世の中は星に錨に闇に顔。馬鹿者のみが行列に立つ」というざれ歌も戦時中はやった。星と錨は陸軍と海軍、闇に顔以下は軍や当局に顔が利かず力のない正直者は、米などの配給でも一苦労するという意味らしい。

弱者が泣きを見る、並外れた不合理さが「国体護持」の大義の下でまかり通った。その苦い体験が記憶の奥底に刻み込まれ、世代を超えて現憲法への信頼をつなぎ留めてきた。それが真実だろう。

現憲法はGHQ案を帝国議会で半年間かけて審議し、衆議院では国民主権の明確化や生存権規定(25条)の追加など、生活に直結する分野でも重要な修正をした。現政権や戦前回帰の復古的な団体が主張する「押しつけ憲法」論こそが、むしろ押しつけではないのか。

憲法が公布、施行された46、47年生まれの世代に、「憲」の字が付く名前が多い。明るい日本の未来を新憲法に託そうという人々の願いをそこにも見て取れる。

冒頭の「みかんの花―」に戻ると、歌詞の3番は「やさしい母さん思われる」で終わる。川田さんが歌い始めた頃は「母さん」が「姉さん」に変えられていた。戦災で母を失った子どもたちへの心遣いだったという。戦争には悲しい物語が尽きない。そのことに耳をふさぐ者に、改憲は語れまい。