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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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一般人が内包する罪悪性 あらゆる人に嫌疑は向かう

2017年6月2日付 中外日報(社説)

「花見ならばビールや弁当を持っている。下見であれば地図や双眼鏡、メモ帳を持っている」

「共謀罪」の構成要件を改め「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案をめぐる国会審議で金田勝年法相は、一般人とテロリストをどうして見分けるのかと問われた際、このような「迷答」で野党議員らの失笑を買った。

金田法相、つまり政府は「携帯品など外形的な事情」により一般人とテロリストを区別できると言いたいのだろうが、「地図や双眼鏡、メモ帳」などは一般の人でも簡単に入手でき、何かの事情でそれらを持って花見会場に行くことだってあり得る。

「外形的な事情」で人を「一般人」「テロリスト」と判別することは容易ではない。結局、野党議員や法律学者、そして宗教者らが危惧しているように、「テロ等準備罪」は人々の内面にまで踏み込んで判断せざるを得なくなるのではないか。これでは、希代の悪法といわれた「治安維持法」の現代版と批判されても仕方がない。

「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」(「歎異抄」)。浄土真宗の開祖、親鸞聖人は我々凡夫がその内面に抱えている罪悪性をこう喝破した。

我々が人を殺せないのは、自分の心が善いからではなく、殺すべき因縁が備わっていないからである。しかし、「さるべき業縁」によっては、殺すまいと思っても100人、千人の人を殺してしまうかもしれないのである。

この教説に従うならば、全ての人はその内面にテロや殺人という大罪を犯してしまいかねない種を宿しており、捜査当局にとっては「一般人」ではなく「テロリスト予備軍」ということになる。

金田法相とは別の政府高官は「一般人も捜査対象となる。嫌疑が向けられた段階で一般人ではなくなる」と言ったが、どのような人たちが嫌疑をかけられるのかは、捜査当局の判断に委ねられており、「罪悪深重の凡夫」である我々は常に警察権力の影におびえながら日々の暮らしを送らねばならなくなるかもしれない。

狂信的な自らの信念や信仰に従って何の罪も落ち度もない一般の人々にまで危害を加えようとするテロ、テロリストは断じて許すことはできないし、そのような行為を未然に防ぎ国民の生命と安全を守るのは政府の重要な役割だ。

しかし、一方で国家権力自体が「さるべき業縁」にとりつかれた歴史があったことを我々は知っている。それが多くの国民にとって極めて息苦しい時代であったことを忘れてはならない。