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心に袈裟を着けて 寺院運営に発想の転換を

2017年6月7日付 中外日報(社説)

過疎の高知県大川村で村議会を廃止し、地方自治法に基づき住民有権者が村政を審議する町村総会設置の検討を始めたとの報道があった。人口わずか400人、村議会定数は6人。過疎に加え高齢化も深刻。限界集落が増えるこの国の“縮図”のような話には、同様の地域で寺院運営に苦慮する住職も身につまされる思いだろう。

近年、伝統仏教教団ではどこもこの問題が喫緊の課題だ。具体的には高齢住職の後継者確保や無住対策、寺院の統廃合を含めた再配置などだが、ここまで社会構造が変化すれば、従前の寺院経営の温存、復活ではなく、根本的に発想を転換する必要があるだろう。

過疎地に限らず、都市部でも一般社会、人々と寺院との距離が広がっているといわれる。そもそも社会で家族制度、家族の在り方自体が激変しているにもかかわらず、旧来の家族形態を前提とした檀家制度の維持だけを考えるようでは見通しは暗い。この際、根源的に寺院や僧侶の役割とは何か、何が求められているのかを掘り下げて真剣に考え直すべきだろう。

それは時代の趨勢に流され迎合することではない。かつて地域の寺院・僧侶が集落の人々の心の拠り所として先祖祭祀を担い、家族や住民のつながりの結節点にあったことの本質、つまり儀礼習慣など外形的な姿だけではなく、根底で一体人々から何が求められ、それにどう対応していたのかというコアの部分を捉え直さねばならない。そこが押さえられれば、社会状況の変化に応じて同じ本質を別の形で具現することは可能だ。

例えば法務の中で人々の悩みの相談に応じ、あるいは人と人との縁を結ぶなど地域で存在感を見せることがあろう。そして、もちろん僧侶の最も大きな使命は教化、つまり仏教によってこの世をより良く生き、過ごしていくのを教える事だ。もしかつて葬儀や法事、折に触れて僧侶が行っていた読経や法話が真にそれに値するものであったなら、それは新たな社会状況でも通用するはず。現代社会は以前よりも人々の苦や悩み、生きづらさが複雑化しているからだ。

生き生きと活動する僧侶から聞いた「兼職」の話が示唆深い。例えば市職員を兼ねる住職は「人のために尽くすという事では役所の仕事も法務も同じ」と、いずれもが自らの確固たる信仰に裏打ちされている事を強調した。「寺院経営が厳しいから生活のため副業」ではないそのたたずまいは、「さすがお坊さん」と行政マンとしての信頼も集めている。心に袈裟を着ければ、僧侶としてなす事も場ももっと広がっていくはずだ。