ニュース画像
笏を宗道氏(左)に手渡す宗晴氏
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

「愛国」のゆくえ 平和に貢献する国を大切に

2017年6月21日付 中外日報(社説)

最近、「愛国」という言葉を時折耳にする。そもそも「愛国」とはいかなることか。もし親が子を「愛する」なら、子のあるがままを慈しみながら、子が能力を伸ばし自分なりに社会に貢献することを願うだろう。同様に、もし我々が日本という国を愛し大切に思うなら、日本のあるがままを慈しみながら、同時に日本が世界の平和と繁栄に貢献することを願うのが当然である。

愛国者であることを公言していた内村鑑三は常々「私は日本のため、日本は世界のため」と言っていた。しかるに戦前・戦中の「愛国心」といえば、日本は民族性においても伝統においても世界に冠たる国だから、国力を増強してアジアを欧米列強の支配から解放し、自らその「盟主」となること、天皇を中心として全国民が一体となり、国家的目的遂行のために生命を捧げることを意味した。要するに日本人は世界で最も優れた民族であり、アジアを支配する使命を与えられていることを信じ、そのために生活を犠牲にし、軍備を増強し戦争で勝利を求めることが要求されたのである。

いま「愛国」という時、それは何を意味するのか。

そもそも我々には、事柄を美化するために、美辞麗句で実態を覆う傾向がある。戦時中の日本軍が敗退と言わずに転進と言い、一般人も敗戦と言わずに終戦と称したのがその例である。かつての「愛国」という言葉は、「侵略」という実態を覆い隠す美化、まやかしではなかっただろうか。

その反動で、敗戦後は「愛国」という言葉自体が忌み嫌われるようになった。戦後、一部の人々の間で欧米的なるものを賛美模倣し、日本的なるものを侮蔑するのが進歩的教養の印であるという通念が形成されたほどである。

事実を見れば、日本は劣悪な国ではないが、世界一を誇れる国でもない。そもそも諸国の序列を作って優位に立ち、他国を崇拝したり侮蔑したりすること自体が間違っている。愛国とは、自分の国を大切にしてあるがままを慈しむこと、同時に伝統と文化の優れた点を守り発展させ、劣った点を率直に直してゆくこと、他国を侮蔑したり支配したりすることを意図せず、日本が人類社会の平和と繁栄に貢献するのを願うことである。

日本的なるもの一般を劣悪として「愛国」を悪徳と断定するのは、戦時中の「愛国心」を裏返した偏向に他ならない。とはいえ、最近また聞くようになった「愛国」の行方も気になる。それがかつての「愛国心」の復活ではないことを願わずにはいられない。