ニュース画像
笏を宗道氏(左)に手渡す宗晴氏
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

おもねる報道を見抜く 情報の意図を判断する力

2017年6月23日付 中外日報(社説)

ツイッター、ブログなどインターネットには個人が発信する無数の情報がある。大半は根拠も示されず、不確かな話だ。信頼できる情報は一体、ネット上のどこにあるのか。米国大統領のツイッターにさえ、フェイクニュースが交じっているとなると、ネット時代の情報の信頼性をめぐる議論は、おそろしく厄介に思えてくる。

とはいえ、テレビ、新聞などの情報の信頼性が比較的高かった時代でも、報道の偏りは時に目を覆うほどの場合もあった。大本営発表を例に挙げるまでもなく、権力におもねるような報道は、今に始まったことではない。

発信する側の倫理は、ある程度以上は期待できないのである。全国紙が官邸の広報紙の様相を示すと、さすがにあきれてしまうかもしれないが、こうしたこととて国外に目を移すと決して珍しい現象ではない。強者に媚びるのは人間が持つ習性の一つで、これがなくなることがあるとは思えない。

そうであるとするなら、向上に努めるべきは受信能力の方ということになる。発信された情報が、誰によって、どのような意図のもとに作成されたかを推測する能力である。これについては、発信する側の傾向にあまり変化がないことが、推測には好都合となる。

例えば、権力者への追従記事しか書かない新聞社、権力者を常に擁護するテレビのコメンテーターは、このことによる対価を得ているのではという推測が浮かんでくる。逆に自らの日常に不都合が生じるかもしれないのに、あえて他者のために批判的意見を述べる人は、人間が進化の過程で身に付けた自己防御一本やりの行動原則だけに準じてはいない可能性が高い。利他的発想や、時間的に長いスパンで物事を考えることを重視しているだろうからである。

情報に対するそうした判断力を養成することは、膨大な量のデジタル情報が世界を飛び交う時代においては、必須の課題になってくる。この判断には従来の倫理的な善しあしの参照よりも、むしろ進化心理学や進化生物学の成果の参照が、より有効なことがある。

ネット上に氾濫する執拗な攻撃や無責任な放言も、道徳的あるいは倫理的に認められるか否かという形で見ていくより、人間が進化の過程で身に付けた生存戦略の一つと見た方が理解しやすい。

遺伝的に受け継いできた反応プロセスは、非常に単純なメカニズムであっても、強力な推進力を秘める。それに気付くだけでも、ネット上だけでなく、多様なメディアで発信される情報の意図を見抜く力は向上するはずである。