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良寛和尚に学ぶ 人間の品格とは何か

2017年6月30日付 中外日報(社説)

政治の世界で強引な権力の行使や人間としての品格を疑わせるような言行が耳目を集めるとき、逆の世界があることに目を向けるのも悪くないだろう。

新潟県・出雲崎に良寛和尚の記念館がある。和尚の能筆、その直線の雄勁さ、曲線の柔らかさ、細い線の見事さはよく知られているが、書には逸話で語られる良寛像とは異なった厳しさがある。しかし喧騒の世でとりわけ印象的なのは、良寛の書の脱俗的な品の良さである。

品が良いとはいかなることか定義は難しい。いわゆる上流階級の品の良さというものがあるが、これは生活に困らず余裕もある人の洗練された立ち居振る舞いのことで、良寛和尚の書に備わっているのは、清らかな無心の品格である。これは品良くなろうとしたり、自分はセレブだなどと考えたりしたら、たちまち消失するようなものである。

キリスト教の伝統にも、アッシジの聖者フランチェスコのような脱俗的な「乞食坊主」がいた。フランチェスコは社会的な影響力が大きく、彼のもとで有力な修道会が設立された。他方、「世の中にまじらぬとにはあらねどもひとり遊びぞ我はまされる」と詠んだ良寛和尚は目立った社会的活動は行わなかったが、その詩歌と書、何よりもその生き方が現在に至るまで広く人心を教化している。

良寛に傾倒する人は現代にも少なくない。しかし、現代人に限らず、人間はやはり富と力と成功に惹かれてゆくのである。品の良さなど眼中にない。自我中心の近代文明は、自分を変えるのではなく、他者を自分の都合の良いように変えるという強い傾向を示してきた。

近代人は科学と技術、経済と軍事を発達させて、弱者と自然を収奪し続けている。このまま経済成長を追い続ければ、生活環境のグローバルな破壊が近い、と真剣に語られるほどだ。

良寛和尚は特別だ、競争社会で生き残りを懸けて働いている我々には脱俗的な生活など営む余裕はない、と人々は言うだろう。誠にもっともなことだ。

しかし現代は過去と異なる事情がある。それは社会生活を退いてから長い老年を過ごさなければならないということだ。その期間をどうするのか。

体力も欲望も衰え、社会的義務からも解放された高齢者はどのように生きたらよいのか。良寛和尚のような托鉢生活、また創作活動そのものは真似られないとしても、その脱俗性は一つの道を示しているのではないか。