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懲りない原子力事故 いのちと生き方の視点を

2017年7月5日付 中外日報(社説)

またしても杜撰な管理によって重大な事態が起きた。茨城県大洗町の日本原子力研究開発機構大洗研究開発センターで、作業中に猛毒のプルトニウムなど汚染度の高い放射性物質が飛び散って作業員たちが被ばくをした事故だ。作業台は密閉されず、マスクにも隙間があるという極めていいかげんな防護体制に加え、汚染物質が数十年間もしっかり管理されずに放置されていたという信じられない状況。数人が将来とも身体の危険が続く内部被ばくをした。一研究所の問題として処理せず、この国の原子力・核問題への認識を改めて問い直すべきである。

商業原発の深刻な事故以外にも、今回のような作業上の重大事故では、1999年に核燃料会社「JCO」のウラン加工施設で3人が大量被ばく、1年以内に2人の命が奪われた例が記憶される。たまたま今回の事故と同じ時期に廃炉が了承された、同研究開発機構の高速増殖炉「もんじゅ」の95年のナトリウム漏れ事故とその状況隠蔽事件もそうだが、重大事態を起こすたびに原発業界や政府は「管理を厳重に」「二度と繰り返さない」という弁明を繰り返す。

「懲りない原子力ムラ」と言われる所以である。環境汚染を含めれば数百万人規模の影響が懸念され、「文明の危機」とまでいわれた東京電力福島第1原発の最悪の事故でも「懲りなかった」。だからと言って、今回の事故が許容されるはずもない。

責任は現場関係者や一企業にとどまらず、安全を軽視して原子力を推進してきた政府にあることは明白だ。フクシマ事故では、長期間消滅しない未知の放射性セシウム粒子が環境から検出されたとの報道があり、事故は継続中を印象付けた。現地では核という高度技術に「いのち」の重みを対置しての抗議行動も起きている。

にもかかわらず、各地の原発が再稼働を次々と認められ、今回の事故直後には福井県の関西電力高浜原発3号機が再稼働した。他の電力供給企業との競争にさらされていることを考えると、関電が安全性抜きに「料金値下げ・安定供給」を宣伝するのは白々しい。

『野の仏が起つとき』という本が最近、この問題を憂う学者や弁護士、住民らによって出版され、福井の住職も執筆した。地元で40年以上にわたって原発に反対し、再稼働には大阪の関電本店前で断食を行った住職は「生き方を問い直す自らの修行」と言い、その行いに全国から支持のメッセージが集まる。宗教界も含めて「根本は生き方の問題」と盛り上がった論議を忘れてはならない。