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フェイクと通念 真実を求め真実を語る

2017年7月12日付 中外日報(社説)

フェイク(偽りの情報)の横行が問題になっている。社会はもともと情報に基づいて運営されているのだから、フェイクは誠に由々しい問題である。しかしフェイクは今始まったことではない。

戦後、日本軍の輝かしい戦果を報じた「大本営発表」の大部分が嘘だったことが判明して国民を驚愕させた。個人的には、外国留学中に日本に関する報道があまりに負の方向に偏っているのに驚いた経験がある。それは現在の日本で中国や韓国に関わる報道が偏っているのと似ている。例えば日本では中国の軍備増強の面ばかりが強調されて、中国が文化面で莫大な予算を組んでいることはあまり知られていない。

かつて学園紛争の嵐が吹き荒れた頃、混乱した大学の状況がしばしば報道されたが、筆者がよく知っている大学に関わる報道が不正確なのには驚いた。こうした体験から、メディアの報道には一定の距離を置く人も多い。

実は、言語情報というものがそもそも不完全なのである。多面的多層的で複雑に関わり合っている現実を、言語は「SはPである」というような単純な形でしか語れない。しかも言語は一意的でなくてはならないという制約がある。

つまり言語は、何かを正確に語り得るとしても、もともと複雑な現実の一部一面しか語れないのである。しかも現実を情報化するについては誤認や無理解があり、注目を引こう、自分に都合の良い面を強調しようという作為がある。

情報が伝わる過程でも、誤解、削除、付加、誇張、歪曲などがなされて、興味や不安や公憤を煽るような情報が広がっていく。一般に利害関係が大きい情報ほど歪曲を受けやすいといえるだろう。

大きな嘘を頻繁に繰り返せば、人々は最後にはそれを信じるだろう――と言ったのはナチスの宣伝相ゲッベルスだが、嘘も通念になってしまえば、社会は事実ではなく通念に従って動くので、事実上の真実となってしまう。ひとたび通念となれば訂正は極めて困難である。

では、どうすればいいのか。まず、言語と情報の性質を弁えて情報の真偽を確かめる「検証」に留意することが大切である。しかしこれはとても難しいことだ。内容が怪しげで興味本位だったり、感情を煽り立てたり、主張が一方的で発信元が不確かだったり、複数の情報があって一致しなかったりする場合には安易に信用しないという常識が必要である。

しかし最も大切なのは、自分自身が、利益に反しても、真実を求め真実を語ることである。