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小田川の氾濫で本堂などが3メートル以上浸水した曹洞宗源福寺(岡山県倉敷市真備町)。岡山県曹洞宗青年会の会員らが仏具や家具を搬出していた(11日)
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「明治150年」 人材育成の原点振り返る

2017年7月21日付 中外日報(社説)

150年前の1867年11月9日(慶応3年10月14日)、第15代将軍徳川慶喜が「大政」を朝廷に返上した。政府は明治改元の68年から起算し、来年を「明治150年」として、内閣官房に推進室を設け「明治の精神に学び、更に飛躍する国へ向けた施策」を立てている。鹿児島市や山口県萩市をはじめ、地方でも積極的に関連事業を進めている所がある。

明治維新以後の日本の歩みについては評価が分かれる。「明治の日」制定=「明治節」復活を視野に入れる安倍内閣は、全国的な慶祝の機運を高めてゆくため力を入れる。他方では「明治」についての批判的検証も、今後一層活発になってゆくことだろう。

宗教界にとって、この150年は極めて多事多難な期間だった。神仏判然令で寺院は廃仏毀釈の波にさらされ、上知令で経済的基盤を奪われた。肉食妻帯畜髪を「勝手タルベシ」とされたのは、朱印地、黒印地を取り上げた見返りだろうか。それはしかし、僧侶の伝統的な身分の根拠を否定する告知だった。僧侶も苗字を持つことを求められ、一時、托鉢さえ禁止された。天皇陛下の臣民として兵役に就くことが義務化されるのは当然の帰結で、不殺生戒を保つべき聖職者の立場は基本的に認められなかった。

一方、地域に根差す神々への信仰も、南方熊楠らが強く反対した神社合祀を行政が強引に進めた結果、人々の崇敬心が損なわれるなど影響は少なくなかったはずだ。

こうした時流の中で、仏教各宗派は(畜髪はともかく)肉食妻帯の「自由」を深い議論もなく受け入れた、とみられている。宗門的伝統の立場で考えれば情けない話ではある。しかし、仏教界が追い込まれた危機に誰もが手をこまねいていたわけではない。

諸宗同徳会盟のような宗派を超えた組織が結成され、何より人材育成を重視して活動した。実体は詳しくは分からないが、「諸宗総黌」という学校が設置され、それが明治初頭に各宗派が宗門校を立ち上げるきっかけをつくった、と研究者は分析している。

各宗派の主要な宗門校が、こうした危機のさなかに誕生したことの意味を「明治150年」の現在、改めて考えてみたい。人材育成こそ危機を乗り越えるための最大の課題だと先人が判断し、そのために注いだ努力を振り返ってみる必要がある。

「寺院消滅」が話題になる時代だが、寺が消えるより先に仏教の将来を支えるべき人材が枯渇することのないよう、いま為すべきことがあるはずだ。