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ミサイルと原発 平和憲法施行70年の夏

2017年8月4日付 中外日報(社説)

北朝鮮の核とミサイル開発が急速に進む中、対岸の“原発銀座”福井県の福井新聞は先日「安倍首相は盛んに北朝鮮の脅威を強調するが、原発の防御には具体的に言及しない。住民の命と安全を考えれば無責任であろう」という論説を載せた(7月8日電子版)。

福井県の原発は高浜3、4号機が既に再稼働し、大飯3、4号機は今秋以降に再稼働、高浜1、2号機と美浜3号機も原子力規制委員会の安全審査に合格し、いずれ再稼働の予定だ。そこに北朝鮮のミサイル危機が差し迫ってきた。

ところが7月6日、初めて地元を訪れた原子力規制委の田中俊一委員長は、住民の質問に「ミサイル攻撃を想定した対策は立てていない」と明言し、ミサイル攻撃のような事態は「戦時状態で、原子力規制の範囲を超えている」と述べた。

上記論説は、原発と暮らす住民の前での「無防備」発言に憤り、原発テロとミサイル攻撃への安全対策の強化を求めたもの。当然の要求だが、少し踏み込むなら、国は今直面しているリスクの実相を正しく認識し、共有しているのかどうかという不信感を生む。

北朝鮮の脅威をあおりたいのではない。結論を急ぐと、よく耳にする日本的な「集団の無責任」がここでも作用しているような懸念を拭えない。日本海側に集中立地した原発の再稼働を、今後さらに進めていくのかという疑念も含めてのことである。

破局は最初、見えにくい。先の大戦も、みんなが自覚しないうちに軍部が暴走を始め、ずるずると無謀な戦争に突入していった。戦後も戦争指導層からの自主的な責任の究明はほとんどなかった。

福島第1原発の事故では、一時首都圏住民の避難も想定され、今も県民6万人が自宅に戻れない。だが、誰も責任を取ろうとしないし、それを怪しむ声も小さい。

政府は今春、ミサイル攻撃に備えて全国の自治体に避難訓練を求め、マス・メディアやネット上でミサイル落下時は「頑丈な建物に避難」などの行動を呼び掛けている。しかし、原発対応策は示さない。仮に稼働中の原発がミサイル攻撃を浴びたらどうなるか。要するに国の政策に根本的な矛盾があり、一歩誤れば破局の再来に至る危険性が巧妙に隠されている、ということだろう。その一歩間違ったときの責任は誰が負うのか。

日本は70年前施行された憲法の前文で国民の安全と生存を「平和を愛する諸国民の公正と信義」に委ねる決意をした。今の日本はどの国との戦争も想定できない。そのことを確認する夏にしたい。