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僧侶と兵役 なぜ戦争協力の道を歩んだか

2017年8月23日付 中外日報(社説)

宗教の歴史は戦争や暴力と深く結び付いている。日本でも古代末から近世の初めにかけて、有力な寺は僧兵を擁していた。戦国時代には武田信玄や上杉謙信といった大名が権僧正や阿闍梨権大僧都の僧位を贈られ、五山の禅僧が大名になった安国寺恵瓊の例もある。しかし、豊臣秀吉の刀狩り以降、寺社は武力を持たず、「徳川の平和」の下、世俗を超えた「方外」の存在としての僧侶が干戈を事とすることはなかった。

事情が変わったのは明治の四民平等の世になってからである。徴兵令施行後しばらくは、教導職という宗教官吏として召集免除の対象となったが、教導職廃止後は、肉食妻帯は「勝手」と突き放されていた僧侶は、一国民として兵役の義務を負うことになった。

もちろん、「方外」の民、不殺生戒を保つべき立場として、徴兵に対し抵抗する動きはあった。国立国会図書館がインターネット公開している楠敬順著『僧侶兵役免除請願理由書』(1891年)という冊子は諸外国の例も挙げ、理論的に宗教者に兵役を課すべきではないことを説いている。これが仏教界全体の大きな動きの一環であったことは、冊子の本文を宗報にそのまま転載している例があることからもうかがわれる。

同書出版の3年後に、日本は朝鮮半島の問題をめぐって中国との戦争に突入する。幕末の長州では、僧侶に呼び掛けて部隊を組織し積極的に戦場に出向いた大洲鉄然のような僧侶もいたが、日清戦争では出家の立場、己の意志とは無関係に僧侶は徴兵され、海外の戦場で戦ったわけである。

伝統仏教教団はこの頃から帝国領土拡張の戦争に深く巻き込まれてゆく。当時の宗報などを読むと、その間には様々な葛藤もうかがわれる。廃仏毀釈で大きく損なわれた社会的地位についての焦りもあったようだ。対外戦争に出征する僧侶を見送るだけでなく、宗門として積極的に社会貢献し存在感を示す――そのための第一歩が従軍僧の派遣だった。

明治維新から太平洋戦争敗戦の破局に至る過程を宗教界の視点で顧みると、誠に重苦しい。宗旨を護り、流れを変える決断はできなかったのかという問いには、考えれば考えるほど答えを出しにくい。ブライアン・ヴィクトリアの『禅と戦争』のように戦争協力の事実を検証する作業は必要だが、それだけでは全く足りないのだ。

魔に魅入られたように隘路に進んだ経緯を確認し、今の状況と照らし合わせてみる必要がある。歴史的経験から学べるか。このことが私たちに厳しく問われている。