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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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緊張高まる東北アジア 対話通じて平和と和解を

2017年8月25日付 中外日報(社説)

グアム島を射程にした弾道ミサイルをめぐって、米国と北朝鮮の間で過激なブラフ合戦が行われた。当面の危機は回避されたように見えるが、予断を許す状況にはない。米朝で軍事衝突が起これば日米安保条約がある以上、我が国も戦場になる危険性が高い。犠牲になるのは間違いなく国民だ。

こういうときこそ、日本政府は米朝両首脳の間に立って、対話を通じた打開策を図るよう提案すべきであろう。外交で肝心なのは対話のパイプを持ち続けることだからである。しかし、「対話のための対話はしない」という安倍晋三首相の意向を受け、我が国は対米協調路線、対北朝鮮には圧力路線を強める一方である。

東北アジアの緊張緩和のためには、関係各国の草の根レベルでの交流による関係改善の努力も怠るべきではない。幸いなことに宗教者がこれに一役買っている。5月には中国・北京でアジア宗教者平和会議執行委員会が開かれ、7月には韓国・釜山で韓国宗教平和国際事業団主催による国際セミナーが開催された。どちらにも世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会が参加し、平和と和解に向けた話し合いを行った。

北京での会議では、WCRPの韓国委員会と北朝鮮委員会とが協議を重ねた。北朝鮮の宗教者代表といってもにわかに信じ難いが、南北の宗教者が同じ対話の席に着いたということに大きな意味がある。宗教間対話も国家関係の中では、きれい事では済まない部分がある。社会主義国など、宗教を政府の管理統制下に置く国では、宗教者もまた往々にして政府のスポークスマンとなってしまうからだ。

日中韓の宗教者らが参加した釜山の国際セミナーでは、過去の植民地支配のことや現在の日本政府の姿勢について中韓側から厳しい発言や注文もあったと聞く。

しかし、同じ対話の席に着いている限り、どんなに場に緊張が走り、気まずい雰囲気が生じたとしても、関係の修復はいくらでも可能だ。日本の宗教者も、こうした席上では受け身的にならず、堂々と自己主張を行ってもよい。むしろそうしてこそ、逆に相手から信頼され尊敬されるのである。

宗教間対話には今後も試行錯誤が必要だろう。もとより即効性を期待すべきものではないし、また演出が過ぎれば単にセレモニー化してしまう恐れもある。近年、様々な意味で緊張の高まる東北アジアにあって、宗教者にはいっそう国家間の緊張緩和を図り、和解の心で人々をつないでいく役割が期待される。