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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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生殖医療での苦難 個々の事情へ気配りを

2017年9月6日付 中外日報(社説)

長野県・八ケ岳の裾野にある「不二身の塔」は、根津八紘・諏訪マタニティークリニック院長が「生まれて来ることなく去った命、生を受けて後に去った命、やがて生まれ出づる命に祈りを捧げる」ために建てた鎮魂施設だ。同院長は代理出産や出生前診断、減胎手術や人工妊娠中絶など生殖医療で社会に波紋を広げる数々の取り組みを続け、宗教界と激しく論議することも多いが、宗教的ともいえるこの施設については、「『寺院ビジネス』のようになった水子供養などに比べて、現場の苦に向き合う姿勢の表れ」と評価する宗教者もいる。

生殖医療での苦悩の最たるものが中絶や新生児の死だが、全日本仏教会でも講演した柘植あづみ・明治学院大教授は「安易に中絶する女性などいない。そこまで追い詰めるいろんな事情や社会の仕組みを理解せずに、責任を女性にだけ押し付けるのは間違い」と言い、絶望や罪悪感に苛まれる人への支えを宗教者に期待する。

根津院長の姿勢、中絶自体を決して積極肯定はしない。だが、産婦人科医療者は例えば中絶を「妊婦にとっては地獄」と言う。弱い立場の人の側に立つ宗教者ならば、一般的に生命倫理を語るだけではなく、現場の苦しみを知った上でその悲嘆に寄り添い、さらに当事者をそのような選択に追い込むような状況に何らかの働き掛けをすることが大事ではないか。

それには鎮魂や供養も含まれようが、個別の苦悩に対応する配慮と覚悟が必要だ。産科医療看護師が、母親に「お別れしませんか」と胎児の遺体に接することを持ち掛けるのは、決してなかったことにはできない女性の心に区切りをつけるための手助けだ。火葬した遺骨を肌身離さず、「産んであげられなくてごめんね」と動物園に連れて行った女性もいるという。

一方、各地で行われている「水子供養」は本来は重要なグリーフケアだが、形骸化、営利化の批判もあることは事実。死産・流産を経験した女性の相互支援NPOのアンケートでは、「僧侶の言葉に傷ついた」も目立った。30代女性は「水子は逆縁で親不孝の罪があるから賽の河原で石を積んでは鬼に崩されている」と供養の“理由”を説明され、胸がつぶれるほどの衝撃を受けたという。「まだ生まれない子供のどこに穢れがあるの?」と。「誕生日が命日になってしまった」と嘆く母親たちに接し、新たな「供養」を模索する僧侶もいる。この問題は生命倫理を論じるよりもっと身近で、例えば檀家などでも日常的に起きている。地域の宗教者の役目は大きい。