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経済・政治と社会倫理 力の支配に抵抗する宗教

2017年9月13日付 中外日報(社説)

森友学園や加計学園は規制緩和の名目で、官邸の意向、つまり首相周辺の個人的縁故で国家機構を動かし、教育機関の設置を進めたと疑われている。規制緩和や岩盤規制突破といえば、何か革新的な政策のイメージだが、実際は経済組織の営利活動への制限を減らし、企業活動を自由に行う便宜を拡大していくということだ。

市場における競争原理に委ねる領域を拡大する建前だが、実際には「おともだち」の利益誘導がなされる。その背後には、首相は多数の国民の支持を得て選挙で選ばれたのだから、その権限を自由に行使できるという考え方がある。市場経済の考え方と多数決優先の考え方には、数量で表される「力の支配」という点での共通点がある。そして、利益を得る経済・政治組織は実質的に責任を負わなくてよい仕組みが広がっていく。

規制緩和とグローバルな経済支配の拡大はつながっており、そこには力の支配の優位がある。「力の支配」とは「強者の意思が制限されずに通る社会」ということだが、富の集中が起こって以後の人類の歴史は常にそう動いてきたともいえる。だが、人類はそのような社会は人間が守るべき道に外れていると考え、「力の支配」を抑えるシステムも構築してきた。一つは仏教、キリスト教、イスラーム、儒教など宗教・倫理体系であり、もう一つは近代の立憲デモクラシーの「法の支配」とそれを支える社会倫理的理念である。

現在の「規制緩和」はこれらの社会倫理の制約をかなぐり捨てようとしている。1980年代にレーガンやサッチャーらが推し進め、日本も後追いして現在に至る新自由主義と呼ばれるものだ。新自由主義の「自由」は「力の支配の自由」に通じる。諸宗教や近代倫理思想が教えてきた、全ての個人を尊ぶ倫理性や対等な者同士の連帯を尊ぶ自由とはむしろ対立する。

「力の支配」が拡充しているとはいえ、それとは異なる原理で動く領域はもちろん、あちこちにある。教育もそうした領域の一つだ。ところが、今やその教育の領域を「力の支配」に従わせようとする動きが強まっている。「力の支配」になびきがちな経済・政治組織が、教育に介入してそこで「力の支配」の要素を拡充しようとする。森友・加計問題と軍産学共同研究の拡充、日の丸・君が代の強制などにはつながりがある。

こうした動きはグローバルな傾向を反映したもので、抵抗は容易ではない。「力の支配」に抵抗する動きの中で宗教が占める位置は大きい。有効な抵抗となるために宗教倫理の明確化が不可欠だ。