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戦争孤児の悲劇 戦争知る世代の深い懸念

2017年9月15日付 中外日報(社説)

先の大戦末期、本土爆撃に備える国策として60万人以上の学童が地方に疎開させられた。一方で一般市民には空襲逃れの退去を禁じて「逃げずに消火」を義務化し、逃げれば「非国民」扱いだった。本土空襲による犠牲者は50万人に上ったとされ、親を失った戦争孤児は10万人を超えた。多くは10歳前後の疎開学童だった。

戦後、軍人・軍属とその遺族には「国との雇用関係」を理由に計60兆円という補償がなされた。だが、国策に従ったという意味では本質的に違いのない民間の空襲犠牲者には今なお何の補償もない。その理不尽・不条理は戦争孤児の悲劇が、より鮮明に映し出す。

学童疎開は1944年6月「防空上の必要」から始まった。子どもの保護というより、むしろ足手まといを減らして都市の防空態勢を強化、将来の若い「戦力」温存をも目的としたとされる。疎開学童は「子どもの出征兵士だった」と回想する人もいる。沖縄戦を控え44年8月、本土に疎開途上、米潜水艦に沈められた「対馬丸」の800人近い遭難学童は国に殉じたとして靖国神社に合祀された。

だが、戦争孤児は全く顧みられることなく放置され、悲惨な日々を過ごした。親戚をたらい回しされ、養子に出された先でこき使われ「みなしご」とさげすまれた。都会で浮浪児になり、人知れず病死・餓死する子どもは数知れなかった。終戦から3年も経た48年、国が行った全国一斉調査でも戦争に起因する孤児は12万3511人(沖縄を除く)に上った。

今夏、戦争孤児11人の体験談を集め画文集『もしも魔法が使えたら』(講談社)が出版された。中に東京・上野で他の浮浪児と共に「狩り込み」と称する当局の冷酷な処分で拘束され、トラックで茨城県らしき山中奥深く運ばれ棄てられた人の文章もある。自身も孤児で著者の星野光世さんは、同書で「戦争が始まると、その国の子どもたちの身の上にどんなことが起こるのでしょうか」と問う。

戦争は人の心を破壊し、子どもの命は守られない。戦争孤児は戦争の実相を知る最後の世代だが、80歳を超え、星野さんらの「戦争孤児の会」は、将来に深い懸念を残し、この8月で会を閉じた。

戦争を知らない今の政治家たちに孤児の思いは伝わるだろうか。2004年に成立した国民保護法で、有事に国などの要請に協力し死傷した人に限り補償があるが、民間の空襲犠牲者や孤児たちを見捨てた戦後補償の思想を連想させるという指摘も耳にする。限りなく募る不安が、杞憂で済むことを願う。