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政治倫理の問題 小悪より巨悪取り上げよ

2017年9月27日付 中外日報(社説)

政治倫理といえば贈収賄が思い浮かぶ。最近では、不倫疑惑の代議士や出張風俗を呼んだ某市長がワイドショーの格好の話題になったりする。彼らはメディアの譴責を受けて平謝りに謝ったり、所属政党を離党したり、辞職に追い込まれたりしている。政治家は公人である以上、身の回りは清廉潔白にしておくに越したことはない。

倫理強要社会ともいえる現代であるが、政治家のそのような所業はしょせん小悪である。これに比べたら森友学園や加計学園の利益誘導をめぐる問題は、より大きな政治倫理の問題であり、こちらをこそ追及してもらいたいものだ。

しかし、もっと大きな政治倫理を挙げるとすれば、国民全体の利害や生存そのものに関わる国策レベルの問題であろう。第2次安倍内閣以降、顕著になっている問題は二つある。その一つは、安倍晋三首相が安保法制改正で集団的自衛権を認め、いまや憲法改正を目指して戦争ができる国家をつくろうとしていることである。気になるのは、朝鮮半島をめぐる国際的緊張に触発されて、排外的なナショナリズムが醸成されつつあることだ。国内世論の動向にも危ういものを感じる。

もう一つは、安倍首相が頻繁に外遊し、各国で巨額の対外的支援を約束していることである。確定した金額だけで累計40兆円を超し「日本は世界のATM」と揶揄されるほどだ。一方、国内ではOECD(経済協力開発機構)加盟国中で国民の貧困率が極めて高く、子どもの6人に1人が貧困といわれる。しかも、教育費への公的支出が加盟国中では最低の部類というありさまである。その上、対外支援が実際にどう生かされたのか、不透明なところが多く、国民への説明も十分なものではない。

政治倫理にもスケールの諸段階がある。政治家の不倫や性の問題が小悪だとすれば、収賄や政務調査費の不正取得などが中悪であり、政治のかじ取りの失策・愚策は大悪、巨悪であると言ってよいだろう。我々国民の側も、小悪ばかりに目が行って、巨悪を見逃すようなことがあってはいけない。政治の動向を鳥瞰的なまなざしで監視していく姿勢が不可欠だ。

宗教は救済を説くが、その救済は個人的な救いだけでなく、世直しという形で社会全体の救いという志向性をも含んでいる。どの宗教もそのような世直し力を持っているはずである。それゆえ宗教者もまた政治に無関心であってはならない。巨悪に対して物申し、平和や繁栄の指針を発信していくことも、現代社会に生きる宗教者の務めの一つなのである。