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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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教団の存在意義 中間団体の役割は重要

2017年9月29日付 中外日報(社説)

宗教法人法が制定されたのは敗戦間もない1951年である。同法はオウム真理教事件を契機に95年に大改正された他、幾度か部分改正があり、直近では2014年6月に行政不服審査法の見直しに伴い一部修正されている。

維新後、宗教に関する法規は布告、布達、省令などの形で必要に応じ発布されたが、いずれも断片的であった。旧民法(1896年)は第34条で「祭祀・宗教」に関する法人の規定を設け、宗教に対しては特別法を予定していた。しかし、包括的な宗教法規制定は1939年の宗教団体法まで40年以上実現しなかった。この間、第1、第2次宗教法案、第1次宗教団体法案が上程されたが、いずれも否決ないし審議未了で廃案になっている。特に1899年、第2次山県有朋内閣が提出した第1次宗教法案は、仏教界が対案を提出し、激しく反対したことで知られる。

仏教界は不平等条約改正、居留地返還で「内地雑居」が進み、キリスト教布教が活発化することを警戒して、仏教を「公認教」とするよう求めた。これと同時に強く要求したのは宗派の法人化と宗派自治権・教師の人事権である。政府案はこれを認めていなかった。

佐伯友弘氏(「宗教法案の教育史的意義」)によると、政府の狙いは伝統的本末制度を根本的に弱体化し、仏教の監督取り締まりを強化するところにあった。これは、国家と個人の中間に位置し、国家権力の価値体系を百パーセント共有するわけではない団体の力を削ぐことを意味する。

新宗教(キリスト教)に「制裁」を加える、など当時の仏教側の主張の半ばは今日、到底容認できない。だが、同法案を「宗教を迫害する悪法」として、仏教各宗派が総力を結集し貴族院での否決にこぎ着けたことは評価していい。

残念ながら、その後の歴史で仏教各宗派が中間団体の特性を自覚的に維持したとはいえない。すでに、キリスト教徒による教育勅語不敬事件を契機に起きた明治20年代の「教育と宗教の衝突」論争でも、仏教界の大勢は、国家を主、宗教を従とする哲学者井上哲次郎の国家主義に与し、キリスト教を批判していたのである。

しかし、近年相次ぐ大災害の経験などを通じ、中間集団・団体の役割が重視されている。その文脈で、宗派教団の中間団体としての役割も改めて見直されるべきだろう。災害支援などの社会貢献だけではない。一挙に極端な方向へ傾くような危うさを秘めた社会・政治状況の中で、それに左右されない価値を守る中間団体の存在意味は極めて大きい。