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千日行達成に思う 真剣な行者支える信者

2017年10月20日付 中外日報(社説)

比叡山の千日回峰行は“歩く坐禅”であるという。歩く行だから走ってはならない。石ころや草の根を踏み分け、常人が走るより速く足を運ぶ。結果的には跳ぶがごとく歩くことになる。

9月18日、比叡山一山善住院住職の釜堀浩元氏は、7年間の“歩く坐禅”約千日の行を積み重ねて大行満大阿闍梨となった。記録の上では51人目、戦後14人目の快挙という。

51人という数字は元亀2年、つまり1571年以後に千日行を達成した行者の人数である。元亀2年には織田信長による焼き討ちがあり、比叡山延暦寺は瑠璃堂という小宇を除いて、全て焼き払われた。だからそれ以前の記録は残っておらず、それまでに何人が満行したかは明らかでない。

無動寺谷の明王堂を起点として東塔、西塔、横川の三塔巡拝を中心とする回峰行は、第3代天台座主・円仁の愛弟子だった相応和尚が始めたという。比良山の西麓、坊村に注ぐ葛川の滝で修行中の859(貞観元)年、不動明王の姿を感得したのが発端というが、年代については異説もある。

最高の経典の一つとされる法華経にも登場する常不軽菩薩は、先達を歴訪して教えを受け、有情無情を礼拝した。その心を想起しつつ、三塔をはじめ比叡山中の霊跡を巡拝する。その際に唱えるのは不動真言だ。「不専読誦、但行礼拝」の境地。回峰行は、顕密一致を目指す比叡山ならではの行といえよう。

元亀以来446年間で51人なら、ほぼ9年に1人の割合だが、戦後に限れば72年に14人、つまり5年に1人ということになる。比叡山の回峰行は、戦後さらに盛んになったことになる。

あまり知られていないが「一日回峰行」という催しがある。1日だけでも回峰行者の心に触れたいと願う人々のために1980(昭和55)年、当時の山田恵諦・天台座主が認可した。大阿闍梨の指導に従って深夜に明王堂を出発し、三塔を経由して早朝に明王堂へ戻る。時には沖縄や東北からの参加者もあり、歩き抜いた達成感を味わうという。山田座主は生前「開かれた比叡山」実現の一環にしたい、と語っていた。

ところで、回峰行7年目には行程を延ばして京都市内を巡拝する「京都市中大回り」がある。信者たちは沿道で待ち受け、ひざまずいて行者を迎える。行者は信者の頭に数珠を触れさせて“お加持”を授ける。「仏教離れ」を憂慮する声もあるが、真剣な修行を積む仏教者には真剣な信者が集う。仏教者は自信を持つべきであろう。