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宗門校の未来 後継者育成に広範な議論を

2017年11月10日付 中外日報(社説)

仏教各宗派の管長職は1872(明治5)年に政府が設けた教導職管長制度に始まる。これを初めとして、伝統仏教も国家と歩みを共にしつつ、徐々に近代の宗門制度を整えてゆく。その中で、明治時代の宗門行政の最大の課題は宗侶の教育体制の確立であったと言っていい。

宗門機関紙・誌のバックナンバーをひもとくと、そのことがよく分かる。例えば、明治中期の臨済宗妙心寺派の『正法輪』を見ると、教育関係の記事が極めて多い。宗門学徒教育に関する論説も頻繁に掲載され、学生の試験成績まで公表されている。当時、同派は年間予算の半ばを育英関係に費やしていたのだから、驚くには当たらない。

江島尚俊氏は明治期の浄土宗の僧侶育成に関する論文で、「教団行政と僧侶育成が一体であり、宗学校が浄土宗教団にとって非常に大きな位置づけであった」と論じている。これは、ある程度まで各宗派に共通していえることではないか。

明治時代は国家自体が近代教育の確立のため試行錯誤を繰り返した時期である。それに引きずられるようにして宗門系学校も教育課程、教科内容の改革、さらには校名の変更まで頻繁に行ってきた。専門学校令や大学令の認可条件をクリアするためには、カリキュラムの大幅な改定も必要で、宗侶養成機関としての在り方を問い直すことも迫られた。むろん、財政的負担も大きかった。

戦後、旧専門学校も新制大学に昇格し、ベビーブームの影響によって経営規模が拡大した。いまは少子化の大波の到来で大学としての「生き残り」が問題となっている。宗務行政の範囲も拡大し、「教団行政と僧侶育成が一体」という時代ではない。

しかし、教団や宗門校を取り巻く環境は変化しても、宗門の未来を担う人材の育成が最重要課題であることは150年前と何ら変わりはない。明治の初年は神仏分離で、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた危機の時代だったが、いまは「寺離れ」などさらに深刻な状況だ。人材育成には腰を据えて取り組むべき段階にきている。

宗門大学を選ばず、一般の大学に進学する寺院子弟は大幅に増えた。だが、伝統教団にとって宗門大学の宗学、仏教学関係の学部学科こそ、後継者を育てる拠点である。総合大学の中で、ともすれば影が薄くなりがちな仏教学系の学部学科の役割を、もう一度、宗門校誕生の原点に戻って考え、そのあるべき姿を、宗門挙げて論じ合ってほしいものだ。