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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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犠牲者の生きた証 いのちの記憶を抱いて

2017年11月15日付 中外日報(社説)

この8月末、福島県飯舘村で一人の女性ががんで亡くなった。同村は東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発の事故で長く全村民が避難を強いられ、この春にようやく一部の帰還が始まったばかりだった。この佐野ハツノさん(享年68歳)は若い頃に農家の妻たちが海外研修する村の取り組みに参加して以来、村内の農業経営や様々な催し、地域振興の企画に率先して尽力し、幼なじみの地元の宮司は「飯舘の母さんたちのリーダー」と評していた。原発事故で全てを奪われ遠く離れた福島市内の仮設住宅生活を余儀なくされても、元気をなくした周りの主婦や高齢者を励まそうと古い着物をもんぺや作業衣に手縫いで仕立て直す活動で盛り上げた。

地元方言で「丁寧な」を意味する言葉を冠したこの「までい着」は東京などでも紹介されて支援の輪が広がり、「負げねぇぞ飯舘」のシンボルにもなっていたが、ハツノさんは長期の仮設暮らしで体調を崩し、がんは悪化する一方だった。先日、村の行事で彼女を偲んだ人たちの口からは「原発事故の犠牲になった」と惜しむ言葉が相次いだ。

同じ震災被災地の岩手県大槌町、曹洞宗吉祥寺の高橋英悟住職からは「生きた証」と題する冊子が届いた。地元釜石仏教会の僧侶が中心になって町内の死者・不明者1285人全員について、その人となりや生前の暮らしぶり、被災時の様子などを3年がかりで遺族らから聞き取った膨大な記録。電話帳のような分厚さだが、今回はまだその一部の第1冊。そこには様々な人生がぎっしり詰まる。

長く建具職人をしていた享年63歳の男性は消防団員として活躍し、酒は飲まないが宴席では踊りを披露して皆を楽しませる人だった。押し寄せた津波に、堤防近くにいた高齢者を助けようとして流された。編集責任者の高橋住職は「何年たっても決して癒えない悲しみを共有することで、掛け替えのないいのちの重さを胸に刻むことが大切。今後の防災対策にも生かしたい」と訴える。

ハツノさんは念願の帰村が実現すると、放射能に汚染され放置された牧草地跡にケヤキの幼木60本を夫と植えた。「自分たちがここで暮らした証しに。私らが死んでも木は育ち、子孫に思いを伝えてくれる」と話していたという。「死者は単なる数字ではなく、皆さんに生きてきた歴史がある。決して忘れないでいてもらいたい。記録を日本中、世界に発信できれば」。僧侶の務めとして死者に向き合い続ける高橋住職の言葉が重い。