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小田川の氾濫で本堂などが3メートル以上浸水した曹洞宗源福寺(岡山県倉敷市真備町)。岡山県曹洞宗青年会の会員らが仏具や家具を搬出していた(11日)
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苦縁―東日本大震災 寄り添う宗教者たち
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呪詛する議員 強圧的な言葉の横行に危惧

2017年11月17日付 中外日報(社説)

その年話題となった流行語を選ぶ「流行語大賞」に、昨年は「保育園落ちた日本死ね」が選ばれたことを覚えている人は多いだろう。国会でこれを取り上げた山尾志桜里議員が、後に自らのスキャンダルで批判され、民進党の人事が大混乱して政局に大きな影響を与えたのも記憶に新しい。

幼児教育の深刻な問題はひとまず置く。気になるのは匿名ブログで投げ付けられた「死ね」という呪詛が、ネットなどのメディアを通じて拡散され、国会の質疑にまで登場したことだ。

最近はまた、日本維新の会の足立康史議員が加計問題に関する報道で、「朝日新聞、死ね」とツイッターに投稿したことが反響を呼んでいる。同議員は条件付きながら撤回する意思はないと表明しており、「保育園」云々より剣呑なものを含んでいる。政治家が平気で「死ね」と語り、公共の場で極端に暴力的な言葉が流通することには、危うさを強く感じる。

激しい言葉といえば、ネットや出版物で最近よく見かけるのが「国賊」「非国民」「反日」などのレッテルである。日本人は戦争中の経験から、国家の権力を背にして強圧的な罵詈を使うことには、これまで多少の自己抑制があったと思われるが、最近は理性的なコントロールが働きにくくなっている人が増えたのかもしれない。

観察していると、中には「国賊」と罵られた側が相手を「お前こそ国賊だ」というふうに切り返している例も見られる。双方とも「自分たちは日本の国を愛している」と主張し、相手の言動こそが「売国」や利敵行為につながる、と決め付ける。最終的には声の大きい者、権力構造をうまく利用する側が勝ちを占めるのだろうか。

異宗教間の対話のような息の長い相互理解と協働の努力はなかなか世間の注目を集めにくい。それに対し、他者を攻撃し、結論を一方的に押し付ける言説は分かりやすく、価値観を共有する者には極めて快く響く。しかし、公共の空間において、相手の意見に耳を傾けない罵り合いは誠に不毛であり、いま流行の言葉を用いれば、社会の分断を加速するだけだ。

「国賊」や「死ね」といった他者を攻撃する究極の言葉を使うことに自制心が鈍くなっているのは、政治、文化、メディアや社会そのものの劣化を象徴していると思われる。政府は「明治150年」に当たって「明治の精神」に学ぶことをPRしているが、いま私たちが学ぶべきは、異なる価値の共存と対話、他者への寛容の精神だろう。宗教界はこのことを社会に広く呼び掛ける責任がある。