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2横綱の品格 不堪忍と増上慢に堕ちて

2017年12月15日付 中外日報(社説)

横綱日馬富士がモンゴル人の後輩力士、貴ノ岩への暴行事件で引退に追い込まれた。また横綱白鵬も前代未聞の物言いなどで土俵に混乱を招くなど、「一年納めの九州場所」は、角界の最高位・横綱の資質が問われた場所として大相撲の歴史に残ることになった。

先輩が後輩に注意や指導することは、相撲の世界に限らず他のスポーツ界や一般社会でもよくあることだが、暴力は注意、指導の域も超えている。たとえ相手の態度に怒りを覚えても、日馬富士は横綱である前にまず人として「ならぬ堪忍、するが堪忍」で耐えなければならなかった。

堪忍は仏教語だ。『仏教漢語50話』(興膳宏著、岩波新書)によれば、修行中の菩薩が精進を怠って低い境地に転落(退転)する十三の場合があるとされ、その第六が「不堪忍」である。

横綱には大関以下のような番付の降格はない。事件の波紋が次第に拡大していく中で、日馬富士には「引退」の選択肢しか残されていなかったわけだが、後味の悪さばかりが目立ったこの事件に唯一学ぶところがあるとすれば、それは堪忍の大切さだ。

菩薩でさえ転落するのである。まして凡夫の身である我々がキレたらどうなるかということだ。

もう一人の横綱白鵬は、場所中の取組で自分の「待った」が認められず敗れたことを不服として、自らが「物言い」を要求するという信じられない行動に出た。

白鵬が尊敬する「昭和の大横綱」の大鵬は、「世紀の大誤審」によって連勝が45でストップした際に一切不満は口にしなかった。「物言いがつくような相撲を取った自分が悪い」と、横綱としての自らの力量不足を責めたという。これが角界の最高位、「不退転」の位にある者の品格というものだ。

この大先輩の逸話は当然知っていただろうし、審判員か土俵下の力士しか物言いが付けられないことを横綱が知らなかったはずはない。それなのにどうしてルール違反を犯したのか。前人未倒の40回目の優勝を遂げた白鵬は千秋楽で、観客に万歳三唱を求めたが、その姿、態度にそのことの答えが示されているように思えた。

仏教でいう根本煩悩の一つ、慢心、増上慢である。自分の力を過信し、思い上がった姿だ。

白鵬は連勝記録が63で途切れた時に「われいまだ木鶏たりえず、だな」と語ったが、この煩悩を抱えている限り、いくら勝ち星や優勝回数を重ねても、何事にも動じない木鶏のような大横綱と呼ばれることはないだろう。