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政治の傍観者的態度 歴史の逆戻りを許す

2018年1月10日付 中外日報(社説)

明治維新から今年まで150年のうち、前半は戦争と武力衝突、武力による抑圧の連続だった。戊辰戦争、台湾出兵、西南戦争、琉球処分、日清戦争、日露戦争、日韓併合、第1次大戦、シベリア出兵、満州事変、日中戦争、張鼓峰事件、ノモンハン事件、太平洋戦争……戦後から後半73年間の「平和の時代」と対照的だが、実は共通点が潜んでいるようにも思う。

明治は非植民地化を回避し、帝国主義列強に追い付くため殖産興業、富国強兵を急ぎ、行き着いたところが先の大戦の破局だった。戦後は戦災復興でひたすら経済至上路線を走り続け、平成の大地動乱の時代にその虚弱さが顕在化した。阪神・淡路大震災は直下型地震に対するハイテク都市のもろさを露呈し、東日本大震災では原発安全神話の虚構をさらけ出した。水俣病など大規模な企業公害で多くの住民が犠牲になったことも記憶に新しい。

戦前、戦後に共通するものは、繁栄を求め成長と効率に熱中するあまり、掛け替えのない人の命と死を軽く扱ってきた国と、結果としてそれを認めてきた国民の精神風土ではないのだろうか。

今年1年、官民一体で「明治150年」記念事業が進められる。政府はその狙いを「明治の精神に学び、日本の強みを再認識する」ことだという。だが、明治から一続きという歴史観には違和感があり、明治の「負」の側面が欠けているという批判がある。憲法公布の日を記念した文化の日を「明治の日」に改称する運動に、復古主義を指摘する声も根強い。

先人が築いた「明治の精神」は尊い。だが、影の部分への目配りが歴史の正当な評価に欠かせないのは言うまでもない。大事なモノサシは、人権と人々の平穏な生活が守られているかどうかにある。問題は、その点に今も疑念が尽きないことだ。それは原因究明も不十分なまま再稼働を急ぐ原発政策一つを挙げるだけで十分だろう。北朝鮮危機への対応が、さらに不安を募らせる。命の軽視は戦争へのハードルを低くするからだ。

米国では「安全弁」方策というらしい。国内の政治的困難をかわすため、海外に攻撃先を求める政略のことである。国際社会で「好戦的」と警戒されるトランプ大統領の対北朝鮮強硬策にも、その印象を拭えない。安倍政権は大統領に追随する姿勢が際立つが、偶発戦争も危惧される中、戦争を知らない世代に万が一の事態の惨禍が想像できているのだろうか。

「戦争は政治の敗北」といわれる。そんな政治への傍観は、歴史の逆戻りを傍観するに等しい。