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107年前の処刑 「平和人権の誓い」確立を

2018年1月26日付 中外日報(社説)

今から107年前の1911(明治44)年1月24、25日、幸徳事件ともいわれる大逆事件で、幸徳秋水ら12人の死刑が執行された。同月18日に死刑の判決を受けたのは24人だが、翌日に12人が無期懲役に減刑される。しかし、5人は仮出獄の日を見ることなく獄死(2人は自殺)している。

24人のうちに僧籍を持つ者が3人いた。曹洞宗の内山愚童は大逆事件の摘発に先立ち、出版法と爆発物取締罰則違反によって懲役7年の刑を受け服役中で、再逮捕され絞首刑となった。真宗大谷派の高木顕明は無期懲役に減刑されたが、14年に刑務所で自殺。同じく無期懲役になった臨済宗妙心寺派の峰尾節堂は19年に獄中で病死した。

3人とも所属する宗門から擯斥(僧籍剥奪)の処分を受けており、高木の自殺は処分と家族の不幸を苦にしたためとみられる。

今日の研究では社会主義的思想の先駆者の一人であった内山も大逆事件は無実、峰尾、高木の両人も架空の「謀議」などが大逆罪に結び付けられた冤罪であることが定説。しかし、仮出獄した坂本清馬らが戦後行った再審請求は65年に東京高裁によって棄却され、最高裁も特別抗告を棄却し、「国法」の上では大逆事件の被告の名誉回復の道は閉ざされた。

一方、93年には曹洞宗が内山の宗内擯斥を取り消し、96年4月に大谷派が高木の復権を決定、同年9月には妙心寺派が峰尾の復階・復権を普告している。

宗門は大審院の判決に先立ち、擯斥という最高刑を適用した。だが、「大逆事件は……国家による極めて意図的な事件であったことは、すでに社会的に明白となっている」(大谷派)として処分撤回が実現するまで、敗戦から半世紀を要した。また、峰尾の復権へ向け妙心寺派が検証に動きだしたのは、『禅と戦争』の著者ブライアン・ビクトリアが海外の学会で行った発表がきっかけだった。こうした事情は、改めてその意味を深く考えてみる必要がある。

本紙(1月19日付)によれば、峰尾の百回忌法要が3月6日、彼が住職を務めた和歌山・新宮の眞如寺で営まれる。峰尾は内山らのような思想的先覚者ではなく、向学心のある生真面目な青年僧侶だったようだ。逮捕時に新婚の妻を離縁し、獄中では模範囚だった。内山と高木は、それぞれ宗門によってすでに顕彰碑が建立されているが、峰尾の墓域には、妙心寺派人権擁護推進本部が「平和人権の誓い」の石碑を建てるという。

その「誓い」が、確実に宗門に受け継がれることを期待したい。