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空襲下に戦後語る あの官僚魂はどこへ

2018年2月7日付 中外日報(社説)

都市計画行政関係者の一部に語り継がれる話題がある。

太平洋戦争末期の1945(昭和20)年、日本の都市は連日連夜の空襲で次々に焼き払われた。軍部に支配された政府は、米軍が上陸したら竹やりで戦えと、国民を指導していた。その中で当時の内務省建設局の技官たちは「戦争が終わったら、あの都市はこんな形で復興させよう」と話し合っていたという。

その一人に、佐々木銑という人がいた。終戦と共に内務省は解体されたが、佐々木氏はまず愛知県土木部長として名古屋市の復興計画に参画し、続いて50年、原爆で壊滅した広島市の建設局長に迎えられた。

名古屋、広島の両市とも、幅100メートルの大通りを中心に、広い道路が東西南北に通じている。

広島の浜井信三市長に招かれた時、佐々木氏は「私は技術者だから、選挙や政治的折衝のお手伝いはできませんよ」と条件付きで受諾した。着任すると、道路舗装や架橋工事は後回しにして、ひたすら道路予定地を掘り返した。近代都市に不可欠の下水道網整備のためにパイプを埋設したのだ。そのため雨が降ると、全市の道路は泥田になった。

市街地が完成してから下水道網に着手するのは二度手間になると見通しての工事だった。原子砂漠からよみがえった広島の都市計画を称賛する人は多いが、佐々木氏の名を記憶する人は少ない。

「竹やりで戦え」が国策とされる時期に、早くも戦争終結後の復興計画を考えていた確かな目の持ち主は、佐々木氏だけではない。志を同じくする元内務省技官らによって、多くの戦災都市が美しい姿で再建された。これこそ官僚魂というべきであろう。

翻って、現在の官僚の在り方はどうであろうか。昨年の国会で、国有地の払い下げ疑惑が論議された時、ある高級官僚は、累が有力政治家に及ぶのを防ぐためか、関連文書は破棄され、もはや存在しないと答弁した。そのためか、官僚は栄転した。

やがて、破棄されたはずの文書が残されていることが分かった。今年の国会で野党が追及すると、政府の高官は「官僚を栄転させたのは、適材適所を貫くためだ」と答弁した。

中国の古典『史記』には、秦の王朝の末期に、権臣の趙高が鹿を見て馬だと言ったところ、居並ぶ官僚が迎合して「立派な馬でございます」と発言したという記述がある。鹿を馬と言いくるめたのを、2千年前の外国の出来事だといって笑い飛ばせるだろうか。