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若者に宗教伝える 行いこそが教化の力

2018年2月9日付 中外日報(社説)

「宗教離れの若者にどう宗教の価値を伝えるか」をテーマとする諸宗教者シンポジウムの報告がある。修行僧を指導する曹洞宗僧侶が「宗教離れではなく、宗教者離れが問題だ」と指摘し、参加者の賛同で論議が集中したことから、この問題での「若者」や「社会」についての現状認識と、教化を担う宗教者の資質とが論点として浮かび上がった。

若者は宗教に無関心なのか。各種世論調査を見ても「宗教的なるもの」への関心が高いことは明白だ。だが、それがパワースポットやスピリチュアルといった「ブーム」の形をとって現れることに対して、他のゲームやスマートフォン、遊びなどと同様に「消費的欲望」に流されているのであり、「そこに本当の幸せはない、と気付かせることが重要」とシンポジウムではカトリック司教が論じた。ブーム消費の彼らの姿をよく見れば、心底ではつながりや生きがい、そこから来る幸福を求めていることは容易に理解できる。

シンポジウムでは、若者が修行体験などの催しを通じ体を動かすことで「人の力を超えた大いなるもの」や人とのつながりに気付くという例を真言宗僧侶が示し、学生の指導にも携わる天理教教師も「若者は神仏に無関心なわけではなく、信仰に向かう力を持っている」と報告した。

次の問題は、そんな彼らにいかに宗教の価値を気付かせ、振り向かせるかだ。曹洞宗僧侶は「教えを言葉で語るだけでは聞く耳を持たない。それを言う宗教者の行いこそが大事だ」と断じたが、それは自身の生き方、修行体験からくるものだった。「今どきの若い者は」と嘆く、その「大人」が襟を正し、範を示さなければ何も伝わらない。宗教者の質こそが問われているのだ。古くは重大な事件を起こしたオウム真理教の若い信者たちが、心の拠り所やつながりを求めて入信し、一方で「寺は風景でしかなかった」と語ったことが、今も多くの心ある宗教者の胸に突き刺さっているという。

「困っている人の所へ行って助ける姿を見せること」。様々な提起があった中で、「死」の問題がカギだとの僧侶の意見が注目された。若者は宗教的な事を知りたければ宗教者を飛ばして、ネットで「宗教」を探す。だが死と宗教についてはそんな知識では役に立たない。「それは死には極めて個別性があるから。ここでこそ宗教者が存在感を示すべきだ」。ホスピスなどで看取り現場にも関わる僧侶には説得力がある。この命題こそスピリチュアルなどのブームに欠けていることなのだ。