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市民的自由の制限 新自由主義と人間の幸福

2018年2月14日付 中外日報(社説)

アメリカの大統領が報道機関をたたき、中国では人権派の弁護士が捕らえられ、ロシアでは大統領の対立候補が出馬できない。ヨーロッパ諸国では難民を制限する動きが目立ち、外国人排斥勢力が力を増している。日本では原発事故でやむなく避難した人々が帰還を強いられている。

市民の自由が制限される事例が目立つ。かつては、先進国には市民的自由があるが、発展途上国は「まだ」自由がないと考えられていた。途上国も経済的に発展すれば、やがては自由が広まるだろうという希望があった。社会主義や開発独裁の政権も、経済が発展して自由な資本主義が広がれば、市民的自由を認めざるを得なくなるだろうと考えていた。東西冷戦時代、西側陣営を支持した人々はそう考えることが多かった。社会の改善の希望が共有されていた。

ところが、1980年代中頃から「小さな政府」を掲げる新自由主義が先進国を席巻し、経済のグローバル化が進むと、この希望が後退していく。資本主義経済で成功しているはずの地域で、市民的自由の制限が目立つようになる。金持ちが多いが、市民的自由は限定的な中国はよい例だ。

新自由主義という以上、「自由」を重んじるわけだが、それは市場経済で成功するための自由だ。経済の「自由競争に勝つ」ことに高い価値が付与され、政治家もそのことを最優先する。「自由競争に勝つ」ための政治的措置に懸命になり、規制緩和と称して特定集団を優遇する。選挙に勝つことで力の行使の自由を得たかのように振る舞う。市民的自由はおろそかになる。力による支配は、市民的自由と合致しない。

このことのおかしさがよく見えるのは、科学・学問・教育の分野だ。これらの分野で量による評価が強まる。何がよいことかを単純な数値で測ることが最優先される。しかし、人を育て、よき知識を伝えていくには、量的な基準だけでは間に合わない。経済的な富や科学的成果が増進しても、市民的自由が抑圧され、いのちの尊厳が損なわれるならば人間の幸福にとってプラスだとはいえない。

人間の思考や行動に関わる人文学や社会科学は、新自由主義が掲げる価値とは基本的に調和しにくい。宗教も本来そうだ。宗教は新自由主義がよしとする計測できる価値ではなく、多様な人間が持つそれぞれの在り方を尊ぶ。それが一人一人のいのちを大切にするということだ。宗教は個々人の在り方に即した人間の自由を支える――宗教が歴史的経験を経て獲得した成熟した知恵である。