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今春から道徳教科化 「両刃の剣」が気がかり

2018年2月21日付 中外日報(社説)

従来、教科外活動だった道徳教育が小学校で今春から、中学校では来年春から「特別の教科」として文部科学省の検定教科書を使って行われ、成績が評価される。中学生のいじめによる自殺が直接の契機で、今後の成果が期待されるが、その半面、教育現場でどんどん進む国の介入に社会が無警戒すぎないか。それが気掛かりだ。

教育界には道徳教科化は教育的要請というより、むしろ政治的な理由によるとの不信感が根強い。主体的に考えを深めさせる狙いなのに、子どもたちは押し付けられた価値観で評価され、道徳性の発達には逆効果という声も聞く。

小学1年の教科書は、検定段階で「パン屋」は「和菓子屋」に、「アスレチックの公園」は「和楽器店」に変えられた。幼少期から国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持たせる学習指導要領に沿った文部科学省の検定意見を教科書会社が忖度した結果らしい。愛国心にこだわり「教育勅語」を肯定する政治家が目につく中、教育界の懸念は杞憂ではないようだ。

国家には道徳的な中立性が求められる。国が特定の道徳観を個人に強いれば内心の自由・政教分離の原則が脅かされる。排除の論理に陥りやすく、上からの押し付けになじまない愛国心を教育に持ち込むことが警戒される要因の一つである。仏教界も無関心では済まない問題だが、昨今の社会潮流の下でその視点からの掘り下げた議論をあまり耳にしなくなった。

道徳教科化では教師の過重な負担も心配される。成績評価は数字ではなく記述式で行われるが、子どもといえどもそれぞれが持つ多様な道徳的価値観を教師が評価できるのか。取り返しのつかない判断ミスを起こさないためには、深く子どもたちの心に寄り添わねばならない。

だが、文科省の調査で小学校教諭の3人に1人、中学校では6割が既に「過労死ライン」に達する長時間勤務をしている状況で、それが可能だろうか。

戦後の1948年から53年まで中学・高校の社会科教科書として使われた文部省著『民主主義』に、要旨次のような文章がある。

「全体主義者は、民主国家の国民は個人主義で愛国心に乏しいから戦争には弱いという。それがどんなに大きな間違いであるかは今度の戦争でよく証明された」「政府が教育機関を通じて国民の道徳思想まで一つの型にはめようとするのは最も良くないことである」

破局への痛切な反省がうかがえる。その一方で、道徳教育が国家目的遂行に利用されたときの危険性をも改めて思い起こさせる。