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待望の新司祭叙階 共通する人材育成の難しさ

2018年2月28日付 中外日報(社説)

カトリック高松教区(四国4県・諏訪栄治郎司教)は3月21日、司教座聖堂の高松・桜町教会でカトリック神学院の課程を終えた高山徹氏の司祭叙階式(任命式)を挙げる。信徒らは「日本人の司祭(神父)を迎えるのは平成になって初めて」と歓迎しているが、この叙階式には宗教界共通の後継者問題を見る思いがする。

高松教区は、日本のカトリック16教区中、最も信徒数が少ない。日本では他の先進国と同様、司祭志望者が漸減しているが、特に高松教区は若い神学生から敬遠されている。長崎のような伝統教区や、東京のような大都市教区へ行きたがるのだ。

2代前の深堀敏司教は2001(平成13)年、愛媛県の信徒A氏から松山地裁に名誉棄損の民事訴訟を提起され、2年後に敗訴している。信徒は聖職者に絶対服従が原則のカトリック教会では、前代未聞の出来事だった。

深堀氏が、司教不足に対処するために教区独自の神学院設立を目指すうち、教区の経理が丼勘定になり、A氏から責任を追及されたのが発端である。

深堀氏は失意のうちに辞任、収拾役として起用されたのが、溝部脩司教だった。溝部氏は、格上とみられる仙台教区司教から04年に高松教区に赴任、7年間在勤して若い信徒の教化に努力した。

高山氏との出会いは、高松への赴任直前だった。カトリックの家庭に育ち、仙台の大学を卒業して教師になった高山氏は当時、教室での指導の進め方について悩んでいた。

溝部氏は、司祭になって社会教育的な立場から指導する道もあると助言、高松の司教館に高山氏を招いて生活を共にした。相撲をとったこともあるという。司教が信徒と共同生活をするのは異例だが、高山氏は12年、30歳の時に司祭となる決意を固めた。

溝部氏は高松教区司教を辞任した後、京都の私宅を「望洋庵」と名付けて若い信徒との交流の場としたが、16年に死去した。

溝部氏はまさに、高山氏を“手塩にかけて”育てたことになるが、人材育成にはいかに長い時間と努力が必要であるかを示す一例である。

その間に、現任の司祭たちはさらに年齢を重ね、高齢化が進む。高松教区の財政は年々窮迫しており、特別の献金や他教区・修道会の支援にもかかわらず、累積赤字が800万円に達した。一部の信徒からは「教区を廃止し大阪教区との合併を」との声も上がる。

宗教界全体が直面している課題をそこに見ることができる。