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裁判は終わったが オウム事件の意味忘れるな

2018年3月14日付 中外日報(社説)

1995年3月20日に起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件から間もなく23年。「最後のオウム逃亡犯」といわれた高橋克也被告の上告も1月18日に棄却された。麻原彰晃死刑囚をはじめ再審請求中の者がいるが、オウム真理教の犯罪に関わる一連の裁判は終わったことになる。

刑事訴訟法では、死刑執行は判決確定後6カ月以内とされているが、「共同被告人」の判決確定までの期間はそれに算入されない。死刑制度そのものの是非論はともあれ、法務大臣が麻原死刑囚らに対する刑の執行命令を法律上いつでも下せるという状況だ。

オウム真理教問題は裁判終了で改めて社会的に関心を集め、オウム後継団体の「Aleph(アレフ)」や「ひかりの輪」、さらに「第三の集団」とされる分派の活動も注視されている。

「無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律」(団体規制法・オウム新法)に基づき、アレフなど3団体に対する公安調査庁による観察処分更新(3年間)が1月30日付官報で告示された。同法違反やその他の容疑で信者が逮捕されたという報道も時折目にする。「オウム真理教犯罪被害者支援機構」によるアレフへの損害賠償訴訟も最近始まった。

地下鉄サリン事件は阪神・淡路大震災直後の事件。ともに記憶の「風化」を語るにはまだ早過ぎるが、オウム真理教事件が投げ掛けた「問題」はまさに現在進行中の社会的事象に関わる。麻原死刑囚らに対する刑の執行やオウム後継団体の活動ばかりではない。「カルト」問題も根は同じで、さらに深い部分では宗教とは何かという問いにもつながってくることを無視するわけにはいかない。

事件直後には伝統仏教教団でもオウム真理教事件が意味することを真摯に研究し、討論する動きがあった。しかし、宗教界を見わたす限り、オウムはもはや過去の出来事になっているのではないかと疑われる。伝統教団に突き付けられた課題として取り組んだ議論の成果は今日、果たして生かされているだろうか。オウム問題の根底にあったものは、いまも形を変えて残っているのである。

オウム真理教事件を同時代で経験していない世代がすでに成人している。一方で、大学サークルなどに偽装する「カルト」的団体の勧誘は後を絶たないとされる。伝統仏教は、オウム信者から「寺は風景」と貶されたが、宗教が自らに課した責任を果たせない限り、「信仰」に関する不幸はどこかで繰り返されるのではないだろうか。