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グローバル化の中で 重要な「宗教に関する素養」

2018年3月21日付 中外日報(社説)

ここのところ、文系の学問を軽視するような発言があちこちで見受けられる。大学によっては現実に、人文系学部・学科の予算や教員数確保が厳しくなっている所がある。

国家や企業にとってすぐ役に立つものを教えるという発想は、教育においても重要であるのは間違いない。今日のような急速に社会変化が起こる時代には、それに対応できる具体的方策を模索し、新しい技術を発明する必要性が増している。だが、それがなぜ直ちに文系の軽視につながるのか。

限られた予算と人材を、より短期間で成果が確認できる分野に振り向けたいというのは、分からない話ではない。だが、社会や文化の進展は、あらゆる分野が相互に関連し合って成り立つのである。

平昌オリンピックでは、パシュートの試合で韓国チームが自国民から非常な批判を浴びた。3人で構成するチームの一番遅い人のタイムでチーム全体のタイムが決まるのに、3人目を置き去りにして前の2人が走ったからである。

社会が進展していても、遅れた分野があるため国際的評価が大きく下がることがある。安全で自由な国であると、日本国民が思っていても、女性の社会進出度などは相当遅れているというのが国際的な評価である。それが日本社会全体の評価をも低くする。

学問の分野も、単に技術等でトップレベルだからといって、日本の高等教育が国際的に評価されるわけではない。人間性を養う上で必須のリベラル・アーツの充実は非常に重要なポイントである。

企業関係者はすでにこの点に気付いている。企業人対象のセミナーを行う法人の担当者から、2000年代初めはリベラル・アーツを学ぶ企画への企業の反応は鈍かったが、ここ数年非常に高まってきたという話を聞いた。グローバル化が進展すれば、人間と人間の関係は複雑かつ緊密になるので、リベラル・アーツを学ぶ重要性が増すのは不思議ではない。

さらに言えば、国際的な活動の経験が豊富な人の中には、リベラル・アーツの第一に宗教に関する素養を挙げる人もいる。国立大では東京工業大がそのような方針を出しているようである。

問題は宗教研究関連の学部や学科を持つ教員から、そうしたことを積極的に主張し、その方向への研究や教育の充実を目指す気構えが、少し弱いように見受けられることだ。文系締め付けに右往左往の所もある。自分たちの学問分野の重要性を具体的に示せば、それに呼応する動きは、社会には確かに強まっているのである。