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冠婚葬祭の私事化 暮らしの中へ宗教の存在感を

2018年3月28日付 中外日報(社説)

近年来、家族葬の普及もあって、「葬儀は近親者だけで済ませました」という通知が届くことが増えた。回覧板が回ってきて、初めてその人の死去を知る近所の人たちも少なくない。遺族側では香典や供花を固辞するが、事後報告なのでそもそも時期を逸してしまっている。かつては町内会や職場の同僚が葬儀の手伝いをすることが多く見られたが、それもめっきり減ってしまった。

冠婚葬祭の私事化が昨今ますます進むのが社会の流れでもあるようだ。実のところ、寺院離れ、僧侶離れもこうした社会変動の一部を成しているのではなかろうか。人々のプライベートな空間には寺院はなく、僧侶も不在なのである。この背後にある国民の意識変化に留意することが必要だ。

一つ言えるのは、従来のプライバシーの観念に加えて、個人情報保護の意識の浸透が挙げられる。そこに大きな影を落としているのが、個人情報保護法の存在である。役所や会社、学校や病院などでは、「個人情報だから教えられません」という言い方を聞く。これは個人情報保護法への抵触を防止するためであるが、人々の普段の会話の中にまでそのような発言が出てきた。これはどうも過剰反応ではないだろうか。

そもそも他者の私事についてみだりに言わないのは、人付き合いの嗜みであり、人間関係の義務であろう。それが個人情報保護法のために、人々に過剰に意識されてしまい、学級連絡網や同窓会名簿を作らない、また職員住所録を廃止するところも現れている。かくして私事はますます学校や職場から切り離されるようになってしまった。家族葬の出現もその延長線上の現象である。

寺院や教会の名簿を管理するに当たって、個人情報保護法が順守されなければならないのは言うまでもなかろう。しかしながら、それ以前のこととして、僧侶や教会長が檀家や信徒の守秘義務を守るのは、聖職者として当然のことだ。人生上の悩みや家庭内のトラブルなどは、当事者にとって最も知られたくない個人情報である。檀信徒の相談を受ける宗教者は、常に心していなければならない。

冠婚葬祭の私事化の流れは、今後も進んでいくと予想される。しかしこの流れは、必ずしも宗教者をその場から排除することにつながるものではない。重要なことは、宗教者が人々の暮らしの中へ、どこまで存在感を持って食い込むことができるかということだ。そうした存在感があってこそ、初めて宗教者に対する信頼も醸成されてくるのである。