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心に響く言葉 「対機説法」の重さ

2018年4月6日付 中外日報(社説)

今年もセンバツ高校野球大会で球児らの熱戦が繰り広げられた。高校野球にはエラーやミスがつきもので、それが勝敗を左右する。痛恨のエラーでナインに迷惑を掛けたと泣き崩れる選手の姿を見るのはつらいものだ。

「おまえのエラーは覚悟しとる。三つぐらい織り込み済みや」。箕島高(和歌山)を率いて春夏4度の優勝を遂げた名将の故尾藤公さんは、こう言って落ち込む選手を励ましたという。

息詰まる延長戦。相手のミスで勝ち越し、その裏に勝利目前の大事な瞬間にゴロをはじいてしまった内野手に、このチームの監督は当時の新聞によると「あのまま相手が負けたら、あの子が十字架を背負って生きていく。お前があの子を救った」と声を掛けた。この言葉はこの選手の心に響いたに違いない。高校野球の監督は指導者であるとともに選手たちにとっては人生の師でもある。名監督と呼ばれるような人たちは選手の心をつかむ言葉を紡ぎ、忘れがたい名言を残している。

「対機説法」(応病与薬)といわれるように仏教の世界でも言葉は大切だ。仏教は基本的に言語に対応する実体はないとする唯名論の立場に立つが、世俗の真理である世俗諦、言語表現によらねば真諦を得ることができないとされている。

ある伝統仏教教団が東京、大阪で開かれたエンディング産業展の来場者に対して行ったアンケート調査では、僧侶について悪い印象を与えているものとして「人に対する態度」「法話の力量不足」、そして「信仰心の不足」などの回答が多数寄せられた。

「自信教人信」というが、僧侶自らの信仰心(自信)が不足していては、教えの素晴らしさを人に伝えること(教人信)は望むべくもない。葬儀等の場で遺族の痛んだ心に塩を擦り込むような配慮を欠いた僧侶の言動が問題になることも少なくない。

九州地方の寺院で本堂を改修することになり檀家に寄付金を募ったところ、檀家の一人が「事業が不調で今はどうしても寄付ができません」と申し訳なさそうに住職にわびた。するとこの住職は「そういう時もあります。たまたま寺の事情とあなたの事情が合わなかっただけ。気にしなくてもいいです」と応じたそうだ。

この住職が亡くなり檀家葬が行われた時、総代を務めていたこの檀家の男性は涙ながらに当時を振り返り「ご院さん、私はあなたのあの一言でどれだけ救われたことか。本当にありがとうございました」と声を振り絞った。