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原発事故に抗して 「までい」のつながり

2018年4月27日付 中外日報(社説)

東日本大震災に伴う東京電力福島第1原発事故の被害が8年目に入った福島県飯舘村で、全村避難中に荒れ果てた小中学校を統合した新たな村立学校が今月に完成、開校した。避難指示解除で村民が戻るための基盤整備の一つで、村はこの7年間の「あゆみ」を冊子にまとめることにしている。

帰還に向けて先に発行された冊子『全村避難4年半のあゆみ までいの村に陽はまた昇る』は、原子力災害の窮状とそれに抗する希望を訴え掛け、多くの人の手に取られた。事故以降、刻々変化する状況下での集団避難、村民説明会や仮設住宅、避難先での生活や営農、子供たちの学業の様子。地域コミュニケーション復活のための祭りや運動会などの取り組み、各地からの支援も詳しく紹介している。事故の年の8月に村の中学生をドイツの自然エネルギー活用先進地へと学習に派遣した写真が目を引く。「までい」とは地元方言で「丁寧に、真心こめて」の意。昨年、村内主要道路沿いに再生の願いを込めた「道の駅までい館」がオープンしたのも好材料だ。

だが昨年3月末に帰村が始まって以降、実際に戻ったのは元の人口6200人のうち1割にも満たない600人以下だという。理由は、山林・農地などの除染がまだ完全に終わっていない、避難中に崩壊した家屋の解体・再建も進んでいないこと。そして何より、長引いた避難生活で故郷とのつながりが切れ、特に高齢者の意欲が減退してしまったことだと役場職員は説明した。子育て世代には残留放射能への不安がもちろんあろう。先が見えない状況で待ち切れず、避難先で住居や生活を再建した人もいる。冊子には村民の復興への希望の笑顔があふれるが、避難を苦にした自死や酪農の廃業など“影”の部分は触れられない。

一方、村で唯一残る帰還困難区域の長泥地区では、他地区の汚染土壌などの搬入を認める代わりに帰還を目指した環境再生事業を行うという国の提案を、苦渋の選択で受け入れた。比較的放射線量の低いものを埋め立てた上をクリーンな土壌で覆い、圃場整備をする案で、住民の行政区総会によって複雑な気持ちで議決したという。

自らの責に帰するものではない理由で苦難を味わい続ける村民たちは、それぞれに8年目以降を生きようとしている。役場復興対策課係長を務める地元寺院住職が、僧侶として遠方に離散した檀家を支えつつ、住民の「やる気」と残った産業基盤という「人、もの」を生かして再生のために最大限の支援をすると語った意義を受け止めたい。