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「地の塩」の活動 宗教界から顕彰する意義

2018年5月2日付 中外日報(社説)

稲盛財団は、京都賞の賞金を今年度から1億円に上げると発表した。これまでの5千万円から倍増になり、1億2千万円のノーベル賞に匹敵する高額の国際賞となる。京都賞の受賞者が後にノーベル賞にも選ばれることもしばしばあり、賞金の高額化も世界から注目を集めることになるだろう。いずれにせよ、受賞者のためには慶賀すべきことだ。

その一方で、こういう考え方もあるのではないか。これら国際的に名誉ある賞は、そもそも当該分野で功成り名遂げた人々に贈られる賞であって、受賞者は多くの場合、すでにそれぞれの分野で栄誉ある賞を受賞し、研究や創造、また活動や事業の資金にも恵まれている。むしろ逆に、世の中にはコツコツと努力しているものの、不遇な状況や資金不足のために、顕著な業績をなかなか挙げ得ない人々や、また存命中にその成果の実を結ばせることが難しい人々の方が多数派であろう。人類に多大な貢献を成し遂げたにしても、著名な国際賞の対象とはならない分野、あるいは評価が困難な領域も少なくない。

宗教界の栄誉といえば庭野平和賞(庭野平和財団)がある。その受賞者には、しばしば発展途上国で活動する宗教者や宗教組織が選ばれる。2千万円の副賞は彼らにとって大きな活動資金となることだろう。このほど、第35回庭野平和賞がレバノンのNGOアディアン財団に贈られることが決定した。同財団はキリスト教とイスラム教のメンバーにより創設され、シリア内戦で傷ついた人々を支援したり、レバノン国内外での宗教的和解と平和な市民社会づくりに貢献したりしてきた点が評価された。受賞決定を心からお祝いしたい。

宗教者の社会活動は、その規模の大小や内容の種類にかかわらず、この世を耕す「地の塩」の役割を果たすものである。賞とは無縁なところで人知れず献身している宗教者は無数にいる。たとえ世間からは認めてもらうことがなくても人々のために尽力し、心魂に救いの一端を届けることによって、神仏から必ず顕彰されるものだ。神仏からの評価をこそ拠り所として、この世で評価を受けることよりも、この世を超えた次元からこの世の在り方を評価していくところに、むしろ宗教者の本領がある。

とはいえ宗教者も生身の人間であり、社会活動を行うには人々から支持され、また浄財も必要であろう。そうした宗教者や宗教組織の存在を世の人々に少しでも知ってもらうことは、宗教界からの発信の役割でもある。