ニュース画像
門信徒大会で基調講演を行う内藤勧学
主な連載 過去の連載 エンディングへの備え
時代を生きる 宗教を語る
購読のお申し込み
新規購読キャンペーン
紙面保存版

生命倫理と宗教界 「いのち」社会に発信を

2018年5月25日付 中外日報(社説)

「いのち」の問題、生命倫理をめぐる諸問題に宗教者あるいは宗教界が正面から対応すべき状況がますます進展し、多様化している。臓器移植法改訂後、既に400例もの脳死判定が行われたが、倫理面からの詳細な検討内容は社会に共有されているとは言い難い。iPS細胞利用などの再生医療も人ゲノム解析の応用も「メリット」が喧伝される半面、「いのち」を加工することの是非論議は停滞していると言わざるを得ない。

妊婦の血液で胎児の異常を調べる新型出生前診断の対象や実施施設が大幅に拡大される動きもある。この問題や卵子・精子提供や代理出産なども含めた生殖補助医療は事例が先行する一方、終末期医療の在り方や延命中止を「尊厳死」にしようという「死に方」の問題は論議ばかりが拡大の一途だ。

宗教界は取り残されているのではない。仏教や新宗教の幾つかの教団の研究者や担当者が集まって専門の「研究部会」をつくり論議している。生命の始まりはどの時点からか、あるいはその終わりはといった見解を、それぞれの教えの立場から説き起こす努力が徐々にではあるが続けられている。教団によって研究や論議の進展にかなりのばらつきはあるが、宗教界総体あるいは個別の教派ででも生命倫理について社会に明確に発信することが求められている。

現実にそれが進まないのは、「宗教者に言われても……」とそれを受け入れにくい社会の側が「悪い」のではなく、もちろん宗教側の努力不足が主因だ。例えば葬儀など日常の務めの中で、医療技術だけでなく「いのち」をめぐる様々な事象が起きるたびにしっかり説いてこなかったからに他ならない。この問題で各教派の理念・教義の「専門用語」を使わないことが「教団言説の非宗教化」とされ、「医療・医学に宗教の生命観を対置することが“時代遅れ”と批判されるのを宗教界が恐れる傾向がある」との議論が出た。

しかし、その用語を使うから「宗教的」というのはあまりに短絡的で、宗教を「言葉の表現」という狭い枠に閉じ込める発想だろう。人間の生きる指針としての宗教はもっと大きく、医療も科学もその内部に包接するほどの深みがあるはずだ。経典の言葉を振りかざして済ませるのではなく、もしその宗教者が本当に教義を深く理解しているならば、例えば「いのちのはたらき」「つながり」といった表現で生命倫理を語り、人々に説くことこそが重要だ。宗教は宗教家のためにあるのではなく、広く社会の人々のためにあるということを祖師たちも教えている。