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現代の宗教規範 守るべき価値を基準に

2018年5月30日付 中外日報(社説)

最近、有力寺院や宗派のトップに関わる事件が目立つようだ。それと共に、僧侶の非違行為のみならず日常の振る舞いまで、社会の見方が厳しくなり、宗教活動に対する非課税についての誤解に基づく言説と結び付き、宗教離れが加速している。

不祥事を起こせば、「坊さんも人の子」という声も上がる。人間的弱さへの同情というより、宗教的伝統に基づく建前論への憫笑のようでもある。

世俗化の波は宗門自体にも及び、倫理的な緩みは確かに進んでいる。不祥事を弁護するわけではないが、権力や金、色情にまつわる宗教界のトラブルは今に始まったことではない。それがさらけ出されて記録に残ったこともあるが、内々で処理され噂のみが伝わることもある。だが、社会の流れがもみ消しを看過しない方向に向かっているのは確実だ。

宗門の戒律に対する違反は、国法や世俗のモラルに抵触しない限り一般に社会的にクローズアップされることはない。一方で、宗派の戒律を基盤とする宗教法人の懲戒規程は、専ら国の法律への違背、社会的な相当性からの逸脱の有無で適用の判断が大きく左右される傾向がある。宗教団体の自律性を考慮すれば、それがいいかどうかは考えてみてもいいだろう。

宗門で社会的な相当性が問われるテーマの一例に「修行と暴力」が挙げられる。一般的に理不尽な「暴力」と判断される厳しい指導は仏教に反する。しかし、修行者の養成は宗派によって方法が異なり、厳しい指導自体が不必要というわけではない。そうした厳しさは、社会的逸脱の観点以前に、まず指導者と修行者の双方が守るべき宗教的価値を見失っていないかという、より高いレベルの基準で是非が判断されるべきだ。

問題は世俗の規範より高いレベルを示す宗教的規範の基準だが、それは宗教の核心に存在する価値から必然的に決まる部分と社会の変化に対応すべき部分がある。いま宗門の規範が緩んでいるとすれば、それは社会の変化に十分対応できていないためではないか、と疑われる。

世俗化した社会の中で、守るべき宗教的価値は何か。それをもう一度、宗門全体が再確認し、そこに強く意識を向けるべきだろう。その意識の中から、現代の宗教者に求められる戒律も浮かび上がってくるのではないだろうか。

守られない戒律を愚弄するような社会の風潮がこれ以上広がってほしくない。宗教が奉じる価値の尊さを、宗教者が自らを律する日常の行動で示すべきだ。