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反則はなぜ起きたか 選手追い詰めた「さるべき業縁」

2018年6月6日付 中外日報(社説)

『歎異抄』には次のような親鸞聖人と弟子の唯円との対話が出てくる。

親鸞から「私の言うことは信じるか」と問い掛けられた唯円は「もちろんです」と応じる。すると親鸞は「これから言うことに決して背かないか」と念押しして「それでは人を千人殺しなさい。そうすればお前は往生できる」と命じるが、唯円は「私には千人どころか一人だって殺せません」と答える。

この後、親鸞は唯円に向かって「一人すら殺すことができないのは、お前の中に殺すべき因縁が備わっていないからだ。心の善し悪しではない」とし、人間というものは「さるべき業縁のもよほさば、いかなるふるまひもすべし」と説く。人間は誰でもしかるべき縁が働けば、どのような行いもしてしまうというのだ。

日本大と関西学院大のアメリカンフットボール部の定期戦で、日大の選手の悪質な反則タックル問題が、大学スポーツ界の枠を超えて社会的な関心事となっている。

1人で会見に臨んだ日大の選手は自分が監督に疎外されており、コーチから「監督はワンプレー目で相手のクオーターバックの選手を潰せば試合に出すと言っている」などと指示を受けたと時系列に沿って詳しく説明。

一方、その翌日に会見した監督とコーチは「信じてもらえないかもしれないがそのような指示はしていない」「『潰せ』という発言はあったが、負傷させろという意味ではない」と選手とは全く別の見解を示した。

大学の強豪体育会系クラブは上下関係が厳しい所が多いと聞く。報道によれば日大の監督は百人余りの選手、十数人のコーチの上に君臨し、大学の常務理事として人事権も握っており、反則をした選手にとっては近寄り難い「雲の上の存在」だったそうだ。

選手と監督・コーチ、どちらの言うことが正しいのか。真相の究明は警察の捜査や第三者機関などの調査に委ねられた形だが、監督と選手の間に、親鸞と唯円のような互いの心のヒダが触れ合うような会話ができる師弟関係があったならば、今回の問題は未然に防げたはずだ。

そうした信頼関係が成り立っておらず、一方的な上下関係に支配されていると感じていたと思われる選手にとっては、まさに監督やコーチの存在そのものが「さるべき業縁」だったのではないだろうか。

教育の現場の指導者が学生にとって、そのような「悪しき縁」となってはならない。