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うそとエゴの横行 正論を社会に生かすべきだ

2018年7月4日付 中外日報(社説)

ある経済学者、名前はA氏としておく。彼の専門は日本経営史だ。日本経済の高度成長期にはその発展ぶりが世界の注目を浴び、A氏は海外に招かれて、しばしば講演をし、討論にも参加した。著書論文も多い。はたから見れば輝かしい業績を挙げたように見えるが、当人は自分の過去に何の意味があったのだろうと語る。それは以下のような事情によるらしい。

江戸時代後半期には商業が盛んになり、経済経営に関する思想も形成され始めていた。彼が注目するのは「心学」である。これは仏教と儒教を取り入れた商人向けの経済倫理で、「貪るものは家を滅ぼす」といった心得が説かれ、経済の社会的責任への視野もあり、当時はかなりの影響力を持った。

明治維新以後、こうした実践倫理的な教養主義を受け継いだのは旧制高校で、大学で専門分化する前の一般教養が眼目だったが、現在の市民講座等と違うのは、人格の陶冶に重点が置かれていたことだ。西田哲学が一つの中心になっていたという。戦後、混乱と貧窮の中で国家主義を清算し、新しい理念を持って経済の再建に当たった人々は、旧制高校的な教養を身に付けた経営者たちであり、経済の再建と高度成長をもたらしたのはこの人々だった。

そして彼らが引退したのと時を同じくして、高度成長は土地バブルに変わり、それは結局崩壊して日本経済は低成長の時代に入った。以来経済は利潤追求と資産蓄積を最優先として賃金は上がらず内需は減退したままである。A氏は経済思想史の観点から経済の公的性格と企業倫理を説き続けてきたのに、その所説は、外国では関心を持たれたが、我が国ではほとんど顧みられることがなかった。

そこから、自分の過去に何の意味があったかという先の嘆きが出てくるのである。ただしA氏は、個人としてはめげることなく、過去が現在を意味付けるものではない、現在は常に新しい創造の時だと語り、これも「悟り」のうちだろうという。

そうには違いないが、「悟り」が人生の無意味を克服する道にとどまるのはいかにも寂しい。正論は公的に生かされるべきだ。政治や経済の世界ではとかく正論ではなく、うそとエゴがまかり通る。現代はそれに慣れて平気になりつつあるのだろうか。それは政治や経済の場面だけのことだろうか。宗教界はどうなのだろう。うそとエゴがまかり通っているとは言わないが、仏教もキリスト教も、宗教の公的性格を見失い、伝統の権威に寄り掛かって保身を最優先しているところはないだろうか。