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敗戦前の宗教界 飴と鞭の宗教行政のもとで

2018年7月6日付 中外日報(社説)

「大東亜総進軍の春」――敗戦の前年1944年、ある宗派の宗報の新年号巻頭を飾った勇壮な見出しである。ただし、「ガダルカナル、アッツ、キスカ、南太平洋諸島の苛烈を極むる現実」など戦局悪化は紙面にも反映している。

宗門の戦争協力という事実は活字にはっきり残る。定時宗会でさえ、「敵撃滅を目指して」を枕詞に報告される。戦闘機献納の募財に関しては、毎号大きく紙幅を割いて「献納金芳名」を掲載し、総力戦体制への貢献を訴えた。

43~44年頃の『中外日報』の紙面では、「教化機能なき寺院教会の整備 いよいよ近く実施か」「宗教活動の戦闘配置要請 文部省近く体制確立促進協議会開く」「戦争宗教学提唱」「宗教教師は現在数で十分 宗門大学全廃論」などの文字が躍る。政府お声掛かりの宗門校統廃合は、宗教界に具体案作成が求められたことが当時の本紙記事から知られるが、これらを読み進むと息苦しさが募る。

臨済13派が合同し41年に誕生した「臨済宗」には全国で38僧堂があったが、厚生省は国民の錬成道場に転用するため、僧堂閉鎖を検討した。一方、文部省は「親心」で5カ所程度の徴用猶予の公認僧堂を存置するよう厚生省に交渉した――44年1月の『臨済宗報』に戦後、妙心寺派管長になった梶浦逸外老師が記している。1月中に臨済宗の師家会議が開かれ、聖域たる道場の開放と雲水徴用に応じることを決めた。宗門にとっては極めて厳しい決断である。

宗教団体法のもと監督権限を握った文部省の「親心」も厄介なものだった。同省には宗教団体を監視、指導する「宗務官」が40年の勅令で設置されていた。43年10月22日付『中外日報』は、文部省の深川宗務官が西本願寺大阪教区の常会を「奇襲」し、会議に臨席したと報じている。高等官が末端の現場に出向くのは珍しかったので記事になったのだろう。宗教団体が国体から逸脱して弾圧されないよう指導するのは宗務官僚の「親心」であったかもしれない。

しかし、飴と鞭で飼いならす手法で、宗教団体は総力戦体制の中にがんじがらめに組み込まれていった。43年2月には「大日本仏教会」の主催で、各宗管長・重役に「宗教報国の決意」を確認させる時局協議会が京都で開かれている。冒頭に引用した見出しも、こうした逃れようのない縛り付けを考えれば、時局迎合の一言だけで切って捨てるのは躊躇する。

しかし、それだけにかえって、破局に至る経緯を検証し、反省を行う必要性は大きい。今後、同じ過ちを繰り返さないために。