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オウムの死刑執行 教祖麻原の責任を明確に

2018年7月13日付 中外日報(社説)

オウム真理教の教祖麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚の刑が6日朝、執行された。毒ガスを用いて大量殺人を行おうとして無辜の人々を殺害し、数千人もの負傷者を出したこと、坂本堤弁護士一家を殺害し、隠し通そうとしたこと、そのほか自己および教団の利益のために数人を殺害したことなど、数々の凶悪犯罪の責任者だった。

合わせて6人の幹部信徒も処刑されたことに驚いた人々は多かった。松本死刑囚と比べると責任の度合いが大きく異なり、再審を請求している者もいた。なぜ6人が選ばれたのかも不明である。なお残る事件の不確かさの中で、ごまかすかのように死刑が行われたのではないか。この問いは、そもそも死刑という刑罰が現代の社会制度として妥当なのかどうかという問いとも通じている。

松本死刑囚と他の死刑囚の役割が大いに異なることも疑問を招いた理由の一つだ。ある段階から松本は殺人を肯定する教えを説くようになった。「ヴァジラヤーナ」という高い段階の教えがあり、殺人さえ肯定できるのだという。殺すことで相手を高い境地に進めることができる、それは「ポア」という神聖な行為なのだ、とした。さらに教祖の指示は今は意味が分からなくても奥深い意味が隠されており絶対服従すべきだとし、それを「マハームドラー」という教義用語で飾り立てた。

このように松本自身が指導者の絶対化を推し進め、側近の信徒らが絶対服従の意思を共有して数々の凶悪犯罪に及んだ。指導者絶対化の責任は紛れもなく松本にある。かつてヒトラーのナチスに属し、強制収容所での大量殺人指示を任され平然と遂行したアイヒマンが、自分には責任がないと言ったことはよく知られている。アイヒマンにも極めて重大な責任があり、事実、そう認める判決が下されたが、それがヒトラーの責任の規模と異なるのは当然である。ヒトラーこそが人倫を解体して自己と組織を絶対化する体制をつくった首謀者だからだ。

昨今の政治では、部下や関与者が責任を取らされるが、政治的意思を広めた側は責任を免れる例が多々見られる。「トカゲのしっぽ切り」とか「忖度」などという言葉が広まる所以である。全体主義においては、独裁的な指導者の下で部下たちが平然と犯罪に手を染め、発覚しても指導者は責任を問われない。松本死刑囚もそのような逃げを打とうとあがいた時期があった。7人同時の死刑執行が、指導者の責任の明確化を曇らせることにならなかったか、なお問われなくてはならない。