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道徳崩壊の時代 親の背を見て子は育つ

2018年7月27日付 中外日報(社説)

「親の背を見て子は育つ」は、人口に膾炙したことわざである。多少の解釈のぶれはあるが、面と向かっての言葉による教育より、親の行い自体の教育効果の深さを伝えることわざといえよう。

2018年度から小学校で道徳が教科となった。次年度からは中学校でも教科となる。教材とされたものについての議論もあちこちでなされている。だが、道徳を学校で扱うことの難しさは、どれほど認識されているであろうか。

その難しさは、宗教情操教育の難しさとかなりの部分が重なる。まさに「親の背を見て子は育つ」的な部分が極めて重要になってくるからである。教育には「教師の背を見て生徒は育つ」という側面があり、道徳を教えるなら、これが無視できない比重を占める。

嘘をついてはいけません。他人には親切にしましょう――それを教えるために、偉人の話をしたり、日常の場面を例にして説明はできるだろう。だが、肝心な教師が嘘をついたり、いじめがあるのに見て見ぬふりをし、特定の児童や生徒を依怙贔屓したなら、優れた教材があっても、教育効果は無に帰す恐れがある。

嘘をついてはいけないということは、道徳を教えるなら、外すわけにはいかないテーマだ。だが、政治の世界でフェイクニュースがまかり通っているのは、小学校の高学年なら勘づいている児童がいる。繰り返し嘘をついても、平然としている政治家がいる、と分かっている児童がいる。教師はこの現実をどう説明するのか。知らぬ顔をして済ますのか。そうすると、その態度こそ、児童が読み取ってしまう姿勢になる。

宗教的教化の場合も同様のことが当てはまる。説法、説教の場でいかに素晴らしいことを言っても、日頃の行いがそれに反していれば、信者たちが、その教えを受け入れることは難しくなる。

このことは言い古されているのだが、改めて肝に銘じなければいけない状況になっている。今日の高度情報化社会では、かつては隠せたかもしれない部分が、そうはいかなくなっているからだ。

SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の発達で、情報の拡散形態は20世紀とは別次元のものとなった。教師の知らない情報が生徒の間に飛び交い、神職・僧侶・牧師らが知らない情報が信者間でやりとりされる。

こうした状況であるからこそ、「親の背を見て子は育つ」的な教育、教化の様相は、口先だけ、言葉だけの情報のやりとりが持つ影響力を跳ね飛ばすような力を秘めていると考えられるのである。