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被爆体験を伝える 言葉にできない経験の伝承

2018年8月3日付 中外日報(社説)

73年前に広島・長崎で被爆した人々の現在の平均年齢は、82歳。被爆者健康手帳(原爆手帳)の所持者は約15万人という。被爆者に代わって体験を後世に伝える「伝承者」の養成も進められている。

同じ被爆者であっても、肉親を失った人と、そうでない人の間には“心の痛み”に大差がある。中学生時代に広島で被爆し、家族の大半を失った男性から「8月6日の平和記念式典は中止してもらえないだろうか。平和の鐘を鳴らす響きが流れるのを聞くと、耳を覆いたくなる」と訴えられたことがある。原爆忌には、家にこもってひっそりと過ごすそうだ。

あの日、広島では中学校、女学校の低学年生たちが、陸軍の命令で家屋取り壊し作業に従事していた。原爆はその生徒たちの真上で爆発した。

戦時中、育ち盛りの生徒たちは食糧不足のため、誰もが空腹と体調不良に悩んでいた。歯を食いしばって作業に参加した者は命を奪われ、耐え切れずに休んだ者は生き永らえた。

戦後、各校では毎年夏を迎えると、犠牲者を追悼する慰霊祭が開かれる。だが参列する死没生徒の遺族と、生き残った元生徒との間には、率直に対話できない雰囲気がわだかまっていた。真面目に作業に参加した者が命を奪われ、休んだ者が助かったという微妙な感情の行き違いである。“ヒロシマの煩悩”ともいえるこの雰囲気が消えるまでには、かなりの年月が必要だった。

原爆が落ちると知って、あの日の作業を休んだわけではない。作業を休んだ者が原爆投下を招いたのでもない。それはよくよく分かっているのに、生き残った後ろめたさも絡み、感情克服は容易ではない。

そのことを、戦後生まれの哲学者に話したことがある。学者は事もなく答えた。「どちらも原爆の被害者なのでしょう。お互い内にこもるモヤモヤしたものを捨て、原爆を投下したアメリカの責任を追及する運動に結集できなかったのでしょうか」

この言葉を聞いて感じさせられた。戦争を体験していない戦後世代には、哲学者といえども直ちに共感し難い部分があるのではないか、と。

原爆を含め、戦争を語り継ぐ運動が各地で行われている。しかし伝えられる内容は、文字やデータで説明できる顕教的なものばかりではない。実際にその境地を味わった者でないと分からない密教的な部分があるのではないか。伝える側、伝えられる側双方の努力が求められよう。