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車椅子の客に敬意 40年前の米民間航空

2018年8月31日付 中外日報(社説)

『チャンスに挑む・車イスでビジネス最前線』と題する一冊がある。1981(昭和56)年、大阪市中央区・荒川林産化学工業(現荒川化学工業)在職中の向日善信さんが下半身まひという障害の身で、ビジネスマンとしての地位を築くまでを記した記録だ。

向日さんは、岡山大大学院修士課程修了後の69年、27歳で入社したが、研修中の事故で障害者となり、2年間の療養とリハビリを経て職場復帰した。会社は向日さんに通勤用として上半身だけで運転できる車を支給、デスクには当時まだ珍しかったパソコンを置いた他は、特別な介助態勢を取らなかった。冷たい扱いでなく、向日さんの自立を促すためだ。

向日さんは期待に応え、パソコンを駆使して世界の業界情報を検索し、一般の社員に理解しやすいよう“情報加工”して会社に提出した。この情報は会社の発展に大きな寄与をした。

向日さんはキリスト信者で、田主忠信という牧師の指導を受けていた。田主牧師は障害者の社会参加を促すため78年3月、向日さんを新幹線利用の東京旅行に連れ出し、続いて6月には、米西海岸旅行に誘った。

当時の日本では、交通機関や宿泊施設などで障害者への配慮が広がり始めていた。しかし向日さんは成田で米航空会社の国際便に乗り込んだ時、カルチャーショックを受けた。向日さんが車椅子から座席へ移ると、当時はスチュワーデスと呼ばれていた客室乗務員の代表者と、パーサー(事務長)が相次いで向日さんの席を訪れ「我が社の便にようこそ」と挨拶し、飛行中も何くれとなく配慮を示してくれたからだ。

空港での乗降も、地上勤務のポーターと連携し、出入国手続きを手早く処理してくれた。

米国の市街地には段差の解消していない場所もあったが、通り掛かった市民がごく自然に介助してくれた。路線バスの乗務員も親切だった。向日さんの著書にはこれらの体験が書き込まれ、障害者問題を啓発する好著として福祉関係者らに注目された。

かつて、ある国内航空の離島へ通う便が、設備がないとの理由で車椅子での搭乗を断ったため、行きは同行者に担いでもらい、帰りはタラップを腕だけではい上がるよう指示されたとの報道があった。国交省はこうした事態が起こらぬよう改善を求める方針だという。国交省の改善策には、向日さんの時代にすでに実施されていたものもある。要は、障害者を社会生活の仲間として迎える心が本当にあるかどうかであろう。