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瓜生岩の足跡 苦しみに寄り添う女性仏教者

2018年9月14日付 中外日報(社説)

仏教の歴史をひもとくと、女性の名前を見ることが少ない。だが、実際には女性が果たした役割は大きかった。女性には強い共感能力があって、温かい心を伝えることができる。社会的地位を持つこともない宗教的な女性が、指導力のある男たちを揺り動かすこともある。

明治時代にそのような女性を探すと、まず1829年に福島県会津地方で生まれた瓜生岩が思い浮かぶ。今から150年前、会津が戊辰戦争の戦禍に苦しんでいる時、夫に先立たれて実家に帰っていた岩は見捨てられる子どもたちの養育に献身した。親を亡くした子や、育てるのが困難になった子が少なくなかった。その活動は平時にも続けられ、さらに非行者のケアや、財の乏しい病者のケアなどの領域にも広がっていった。

さらに岩は会津地方にとどまらず、首都東京へも福島市方面へもこの活動を広めていった。東京瓜生会というものもできた。福島には今も児童養護施設・福島愛育園があるが、これは1893年に設立された福島鳳鳴会の児童養育活動を引き継ぐものだ。この福島鳳鳴会は長楽寺などの市内の有力寺院が協力し合ってできたものである。岩はまた、会津若松に貧困者の施療のための済生病院を開きもした。

戦禍の中で苦難にある人々に手を差し伸べた維新当時から、69歳で没するまで、30年ほどの間に、子どもの養育を中心に近代日本の社会福祉の諸領域を身をもって切り開いていった感がある。

その瓜生岩がモットーとした言葉に「仁慈隠惕」がある。これは『孟子』が示した「惻隠の情」と関わりがあり、漢学者だった叔父の影響も見て取れる。だが、現福島県喜多方市の母の実家に近い示現寺や長楽寺などの僧侶の影響も明らかだ。他者の痛み、悲しみに寄り添う心に、日本仏教の慈悲の教えの影響を見て取ることもできる。東京・浅草寺の岩の銅像の台座には、歌人の下田歌子が書いた「嗚呼 刀自は菩薩の化身なりき」の碑文が刻まれている。

明治時代の仏教界が、こうした女性の宗教性をくみ上げ、下支えすることができたというのは注目すべきことだ。第2次世界大戦後に曹洞宗の有馬実成が創始したシャンティ国際ボランティア会も、今は女性の力が目立つ。東日本大震災や福島原発災害の支援活動でも女性仏教者は大きな働きをしている。台湾には慈済会という強力な女性仏教者のボランティア団体がある。瓜生岩をそれらの先駆けと見るような史観も成り立つだろう。