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「まるで宗教みたい」 イメージ刷り込みに危惧

2018年9月21日付 中外日報(社説)

未成年の女子体操選手が日本体操協会の女子強化本部長から「パワーハラスメント」を受けたとされる問題は、スポーツ界の指導の在り方をめぐる根深い構造的な問題をはらんでいる。というのも、もともとは当該選手に対する男性コーチの暴力があったにもかかわらず、彼女がこのコーチを支持すると主張しているために、問題が二重にねじれている印象を与えているからである。

女子選手と強化本部長とのやりとりが、それぞれの立場から明らかにされたが、その中で気になる文言が目を引いた。それは、女子選手が「自分の家族と共にコーチを信頼する」と言ったところ、本部長が「家族でどうかしている。宗教みたい」と応じた部分だ。本部長は声明文の中で、「宗教みたい」という発言が不適切だったと反省を述べている。

本部長による一連の発言や反省の弁からは、宗教のイメージが負のニュアンスを帯びていることが読み取れる。また報道するメディアの側も、こうした宗教の負のイメージに対して何の違和感も示していない。日本の宗教界は、そのような宗教の負のイメージや、そしてこのことを違和感なしに報道しているメディアに対して、特段の反応を示していない。それで果たして良いのだろうか。

伝統仏教でも新宗教でも、しばしば家族ぐるみの信仰を説く。信仰は個人の自由とはいっても、日本の宗教は「家の宗教」という性格を有しているからだ。家族で同じように一つの教えを熱心に信じていることが、一般社会ではまさに違和感を持って受け取られてしまうのである。

しかし、強化本部長の夫は日本体操協会副会長で、二人してパワハラを行ったと批判されている。もし事実なら、「家族でどうかしている」という発言は自分自身にに跳ね返ってくる。女子選手は宗教を引き合いに出されたことに、「少し笑ってしまった」という。

問題は、宗教がこのような文脈の中、負のイメージで語られてしまうことだ。そこに、知らず知らずのうちにイメージの刷り込みが行われているのである。宗教界は「大人の対応」を取って、この件で何も言わないのかもしれないが、そのような扱われ方に対しては、宗教者としての「違和感」を表明しても良いのではないだろうか。もちろん、そのような眼差しで見られることに対しては、宗教界は今以上に襟を正していく姿勢が求められるのは言うまでもない。

いずれにせよ、体操協会を揺るがす今回の問題が根本的に解決することを祈るばかりである。