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改正臓器移植法8年 カード未記入の意味は

2018年10月26日付 中外日報(社説)

改正臓器移植法が施行されて8年目になる。健康保険証や運転免許証の裏側に、臓器提供の意思を記入する欄ができて久しいが、内閣府の世論調査によれば、これら書面で意思表示をしている人はわずか1割程度で、残り9割の人は未記入である。

同じ調査では、自分の臓器を提供したいと思う人は約43%、提供したくない人は約24%である。改正臓器移植法は、本人の意思が不明でも家族の同意だけで提供が可能になると規定する。そこで、何より本人の意思表示を促進させるべく、「意思(おも)いをつなぐグリーンリボン京都府民運動」では、意思表示リーフレットを配布することになった。

そこには「臓器提供の意思表示をしていない約90%の人は『人生最後の親不孝』をする可能性があります。あなたはどうですか」と記されている。

脳死状態になった場合、家族があなたの代わりに意思決定しなければいけない。しかし、それは家族に大きな心の負担をかけることになる。それでもよいのですか、というわけだ。

移植医療を身近な問題として考えてほしいという意図は分かるものの、この文言にはどこかしっくりこないものが残る。その理由は、一人一人の死生観に関わる問題なのに、「人生最後の親不孝」という言葉でもって倫理道徳的に若者を説得しようとする印象を与えてしまうからである。

たとえ臓器提供の希望を持っていたとしても、明確な意思決定に至るまでにはなお距離がある。意思表示していないのは、そうしたちゅうちょの表れかもしれないのだ。そもそも脳死・臓器提供について、正確な理解を持っていない場合もあろう。何よりも「いのち」に関わる問題は、正確な知識に基づき、自分の頭でじっくり考えた後で、意思表示を書面に記すのが本来の在り方ではないだろうか。熟慮の結果、臓器提供の意思が覆るかもしれない。逆に、最初はそんな気持ちがなくても、臓器提供の意思を持つこともあろう。

かつて宗教界でも脳死は人の死か、あるいは臓器移植は是か非かと議論が盛んに行われた。しかし臓器移植法が成立・施行された後は、一部を除いて潮が引くように議論が低調になったように思う。法律は確かに国民の合意形成の結果であるが、ことは「いのち」に関わる問題であり、法律ができたからといって、熟慮して決断するのは国民一人一人なのである。

脳死・臓器移植について宗教からの問題提起の役割は、まだまだ終わっていない。