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格付けと序列 「芽」を見いだし育てる勇気

2018年11月7日付 中外日報(社説)

物事を序列化したり、番付で格付けしたりするのは世間で好まれる。陸上や水上の競技のように優劣を競うこと自体が眼目である場合には、100分の1秒の僅差で金と銀が分かれるのは当然だろう。他方、競技ではない領域でも序列化がなされる。国際的にはノーベル賞があり、国内では文化勲章や芥川賞などがある。

受賞者に敬意を表するにはやぶさかではないが、評価の正当性を別としても、受賞者と次席との間に業績の質においてどれだけの差があるのだろう。常識的に考えてそれほど大きな差があるとは思えないのだが、受賞者と次席との間では社会的名声や待遇において大差が生じてしまう。これはどこまで正当だろうか。

賞や名誉とは関係のない序列化もある。平均寿命の国際比較は、高齢化が進行する現代、政策を決める上で一定の意味があるだろう。ただし、スイスのように人口も少なく国土も狭小で、それだけに生活水準の差が小さい国と、場所によって気候風土も異なり、住民の民族性や歴史も様々な大国とを同列に並べて平均寿命を比較することに、どれだけ意味があるだろうか。

大学についても優劣の国際的番付がある。この場合も序列自体に何か意味があるのか疑わしい。そもそも基準の取り方で順位は大きく変わるものだ。

世界に大学が幾つあるのか知らないが、上位100位以内に数えられるほどの大学ならば知名度や教員の研究業績、施設などを基準にすれば超一流といえるかもしれない。それでも、5位か10位かといった順位付け自体はそれほど問題ではあるまい。

グルメの場合も同様だが、番付の上位に入ることは結構としても、それだけを目安にして店を選ぶ人がどれだけいるのだろうか。そもそも勝ちか負けか、上か下かばかりを気にするのは、流行るけれども、決して良い趣味ではない。上位だからと他人を見下して誇るのは悪趣味だろう。

実は、既に優劣がほぼ明らかなものについて番付を施すより、まだ埋もれてはいるが将来伸びそうな芽を見つけて育てる方がはるかに大切でもあり、有意味でもある。育てるためには自らも危険を冒す勇気と、先見の明が要求される。

ところで、現在求められているのは、宗教の領域でそのような芽を見つけて育てることだ。それは賞や格付けなどとは無関係だが、宗務行政の担当者などにも、いま本当に必要とされる見識ではないか。