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「経済発展」と宗教 物質的利益追求への警鐘

2018年12月5日付 中外日報(社説)

経済発展が未来への明るい希望と感じられた時代があった。人間がより自由になり、幸福を享受できるようになる。そう感じられたのだった。社会主義が広く人々の共感を集めたのも、資本主義が宗教と共鳴するように感じられたのも、そのような時代だった。ある時期までの冷戦時代、1950年代、60年代がそうした時代だ。

その後、経済発展と明るい未来の結び付きが弱まっていく。経済発展のイメージが悪化したのは、まずは公害や資源環境問題が認識されだした70年頃である。続いて、経済格差が拡大するばかりで、縮まる方向性が見えなくなる時代がやって来る。日本では90年代以降である。

この間に社会主義が明るい未来を代表すると考える人が格段に少なくなった。では、資本主義が明るい未来を代表するようになったのか。どうもそうではない。資本主義的発展はグローバル化を進め、世界の広い地域で自由で平和な社会の在り方とは反対の方向を向いていると感じられている。

現代の資本主義の在り方には大きな倫理的問題がある。宗教がそれを批判的に指摘し、異なる方向を求める時代になっている。カトリック教会は2015年の環境倫理についての教皇の回勅『ラウダート・シ――ともに暮らす家を大切に』で、強くその姿勢を打ち出した。現代の世界経済は地球という「ともに暮らす家」を守る方向に進んでいないとして、世界の力ある人々に是正を求めたものだ。

世界各地でイスラームが人々の支持を集めているのも、このことと関わりがあるだろう。資本主義的経済発展がどんどん進むが、人々が幸福になる社会を目指しているようには見えない。経済発展途上の世界各地の住民が否定的な見方をとっているのだ。

日本でもこうした傾向が次第に明確になってきた。宗教的な倫理観に照らして、現代の経済発展の在り方に疑問を表明する傾向が強まっている。11年の福島原発災害はこのことを明らかにするものだった。原発は経済発展の先導役として位置付けられてきたが、そのために地域住民や原発作業員の安全、また将来世代の人々の負担を軽んじていたのではないか。

多くの宗教教団や宗教者が原発推進政策に対する批判を表明し、経済発展に傾き過ぎた社会の在り方に疑問を投げ掛けた。社会の進むべき方向につき、宗教的な理念や倫理に照らして問い直す傾向が強まっている。これは宗教の在り方としても、物質的利益に引きずられがちな社会から見ても、希望となり得る動向だろう。