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「ネットカルマ」 サイバー空間と仏教の課題

2018年12月7日付 中外日報(社説)

サイバーセキュリティ戦略本部担当の桜田義孝大臣が国会答弁で「自分はパソコンを使ったことがない」と話したことは、世界中の話題になった。70代や80代でもパソコンを使いこなす人がまれではない時代、サイバーセキュリティ戦略を所轄する部門の責任者のこの発言には驚く。「サイバー戦争」などが現実化しつつある状況下、こんな話題で海外から注目されるのは内閣にとっても歓迎すべきことではあるまい。

日本で「サイバーセキュリティ基本法」が施行されたのは4年前。2020年の東京五輪開催に備えることを課題に掲げたが、官民連携のサイバーセキュリティ協議会の立ち上げを盛り込む同法の改正も国会で成立した。新防衛大綱では自衛隊の「サイバー反撃能力」の保有も明記されるという。

身近なところでは最近、ネット検索で「保護されていない通信」という表示が出る。ネットの情報伝達の安全性を確保するSSL(Secure Sockets Layer)システムを導入していないと、危険なサイトの扱いになる。日本を代表する神社仏閣のホームページでも「保護されていない」ところがある。

サイバースペースは我々の現実世界そのものと大きく重なり、利便性が高まるとともに、いや応なく高いリスクとその管理コストも引き受けざるを得なくなった。人間が関わるものである以上、ネット空間は楽しみ、喜びだけではなく、苦や憎悪も満ちているのは当然である。しかも、匿名ではコントロールが利きにくい。ネットリテラシーが未熟なまま、SNSでの個人へのいじめが行われ、特定の国家や民族に対する度を越した批判攻撃が公共性のあるネット空間で自由に飛び交う。危険な領域だ。

近刊の佐々木閑・花園大教授著『ネットカルマ』(角川新書)はインターネットが生み出した新たな苦を、ネットのカルマ(業)と捉え、「邪悪なバーチャル世界からの脱出」を論じる。

佐々木教授によれば、ネットは「私たちの行いのすべてを記録するシステム」であり、それはまさにカルマである、という。生そのものに快楽があるように素晴らしい利便性はあるが、そこには「恐ろしい苦しみの海」もある。そして、四苦の克服を示すブッダの教えはこのネットの苦からの脱出にも有効である、と。――私たちが何となく感じ始めてきたことを同書は明確に説いている。

IT化社会における仏教界の課題は、単なるサイバースペースへの順応ではないだろう。こうした仏教の教えがますます重みを増してくるのではないか。